裁ち鋏

僕は婦人ニット製品を造る仕事をしているが、
工程上、最も重要な作業は、断裁だ。
鋏を入れると、もう後戻りできない。

買い入れた既製の生地を断裁するのではなく、
糸を編む所から作業を積み重ねた編生地を断裁するので、

断裁ミスは、ほぼ儲けの全てを失うことになる。
糸を編むところからやり直す必要があるからだ。

断裁以前のミスは、編地をほどく事で、糸のロスは辛うじて防げるが、
長い距離を切っちゃったやつは、最初からやり直す上に、原料糸のロスが発生する。

レーザーや、ワイヤのような糸鋸、又はプレスみたいに断裁する場合もあるが、
うちの会社は、裁ち鋏で、切っている。

うちの会社は、けちんぼな会社だけど、
鋏は最高級レベルのもので、研磨も僕が必要と思えばいつでも発注する。
ちょっとした引っ掛かりが発生した瞬間に、研磨に出す。

つまり、断裁作業は異常な集中力を必要とし、
その集中力の妨げになる鋏の異常事態は、避けたほうが結果としてロスは少ない。

と言うと、何か凄いことをやっているようだが、
裁断線に沿って何かを切っているだけなのだ。

異常な集中力を使って切る以上、
精神的体力的消耗も激しいはずだが、しかし、
美しく仕上がった鋏で、
切れ味の鋭さを味わいながら、
まぁ、切るんだ。やりきった感も味わいながら。

まず、美しい鋏は、素晴らしい。
スッとね。そう切れなきゃストレスだから。
切っている最中にコツっとあたると、イライラするんだ。
握り、重み、支点、遊び。
バランスだな。

自分でばらして研ぐ人もいるだろう。
僕は、そこまで達していない。

道具の機能的な美しさは、作業的集中度に裏打ちされている。
道具を造る者と、使う者の圧倒的な共鳴は、
必ず存在している。