まぁ、グレてみてもいいか^^


(以下の文章は、是非この歌を聴きながら、読んでくれる人は読んでください)
 俺を含めた全ての親や先生と呼ばれる教育者に問いたい。
 俺達は純粋な彼の問いかけに、ちゃんと答えているのかと。
 感受性の豊かな若者は、今も、昔も、これからも、叫び続ける。
「俺はなんの理由も無く縛られるのは嫌なんだ。型に押し込められるのはまっぴらだ。」と。
 何故学校にいってつまらない勉強をしなくちゃならないのか。くだらない校則や教師に縛られるのか。お前達も汚い人間のくせに。
 でね、俺は答える。人間社会で生きる為だと。
 学校の規則や勉強なんて、社会の矛盾したルールに比べたらはるかにちっちゃいんだ。でも、その中でなんとか生きなきゃならない。
 もちろん、学校やめて、親からも離れて、自分なりに生きることもできる。
 が、社会のルールからは決して逃れられない。
 俺はそういった矛盾を乗り越える練習をするために、学校があるんだと考えている。決められた時間内を我慢してつまらない勉強をして、皆と一緒に給食を食べ、部活ではほんとにくだらない先輩に怒られたりする。(もちろん、いい先輩やいい教師もいますが、それは僅かだ)
 決められたルールを守れない奴は、学校であれ、実社会であれ、生きてゆけないんだ。
 だからね、グレてもいいんだけど、せめて主体的に、反抗して欲しいんだな、俺は。
 他の誰かが夜中に学校の窓ガラスに石を投げて割っている。楽しいと言っている。じゃ、俺も真似して割ってみようとか、一緒に皆で割ってみようとか、そうやって迎合するんじゃなくて、自分独りで、先生や親にはっきり文句言ってみて欲しい。
 どうせ反抗するなら、誰にもたよることなく、自分で考え、ぶつけていく姿勢は必要だ。
 それに答える大人がいないなら、もっとやってみればいい。姿勢さえ保っていれば、いつか必ずその答えはみつかるはずだ。
 感性が豊かだからこそ、矛盾に耐えられなくなって、どこかにそのエネルギーをぶつけてしまうんだろうと、思う。
 やがて「人間は何故生きるのか」という、根本的な人間としての命題に行き着くかもしれない。
 それを探す為にも、学校は存在しているよ。
友達を探したり、更に勉強する為により大きな学校(大学など)に行く為に、今必要な勉強しなくちゃならないこともある。
 ちなみに、俺はあらゆる好奇心を満たす為に、生きています。
 好奇心の幅がとても広いので、生活しながらその全てが勉強であるとも言えます。
 本、音楽、自然、人間、全てからあらゆることを勉強しています。
 それは誰かから評価してもらいたいとか、そういうことは無縁の孤独なスタイルであります。
 かみさんは、「そんなに本読んでどうすんの?」とか言っています。
 しかし、やめられない。考えることをやめさせることは、神様にもできないのです。行動は制限できるけどね^^
 人間は大脳新皮質を得た為、生きる為に意味を必要としています。
 他の生き物は、どんなにひどい病気になろうが、どんなに過酷な環境になろうが、ただその生命を生きています。純粋に。
 人間だけが、純粋に生きることができない宿命なのです。
 たくさんの矛盾を抱えながら。