愛って、何だろう

僕は、愛について、或いは何かを愛するという事に関して、
明確な基準が在ります。
それは、『分かち合いたいと願う心』です。
それを持ち得れば、その対象を確実に、愛しています。それが、基準です。
僕は現在、妻と子供2人の、4人で基本的に生活しています。
妻の両親、自分の両親も健在なので、それに付随して親戚も、結構います。
例えば、とても美味しそうなさくらんぼを貰ったとします。
妻が、家族4人で食べる為に、均等に分けてくれます。
さぁ、食べましょうと妻が言ってくれます。
僕はひとつ口に入れて、「美味しいね〜。」と、皆の顔を見ながら言います。
そして、皆が美味しそうに食べている姿を見ていると、自然と食べたいという気持ちが薄れ、やがて完全に無くなってしまうのです。
僕は、「じゃ、俺の分は、皆で分けて食べなよ。」と言って、自分の分を妻に渡します。
すると、いつもの事だと解っている妻は、自分にも少し取り分けて、残りを子供二人に分けます。
皆が食べた後、残った種を見て、僕はとても幸せな気持ちになります。
これは、嘘ではなく、心からの気持ちです。
また、美しい風景を見たときや、美しい音楽を聴いたり、本を読んだり、そういった感動があった時、
「あぁ、あなたにも感じて欲しいなぁ〜〜。」と思います。
その時の、「あなた」というのは、
時には友人であったり、妻であったり、両親であったり、子供であったり、様々ですが、
自分がこの感動を誰かと分かち合いたいと願う心を持ちます。
それは、自分に対しても、持ちます。それは不思議な感覚ですが。

何かに恋する気持ちは、少しずつ、少なくなっていると思いますが、
何かを愛する気持ちは、
この基準において、
ますます深まっていると自覚しています。