厳罰化に向かう日本

私は死刑になる可能性があります。
あなたは死刑になる可能性があります。
私の大切な人が死刑になる可能性があります。
あなたの大切な人が死刑になる可能性があります。

日本では一番重い刑罰が死刑だということになっているので、
新しく刑罰を伴う法律が出来たり、
罰則が重くなったりするということは、
国民が一歩一歩死刑に近づいてしまうことになります。

裁判員制度検察審査会制度といったものは、
制度設置のそもそもの目的は判りませんが、
現実的には刑罰をより重く判断したり、
国民を起訴し易くする為のものとなっています。

ネット等で調べればすぐわかりますが、
検察の求刑を上回る判決が裁判官によって次々と出されています。
裁判員制度でも、法律専門家ではない一般国民の感情を量刑に反映させれば、
だんだん重罰化するでしょう。
最近までは、求刑の7〜8割掛けという判決が、殆どだったのです。

不思議に思うのは、
広く国民が知る事となったような冤罪事件が頻発し、
誤認逮捕や自白尊重主義といった問題、
検察の作為的な情報操作や証拠のでっちあげなどが次々と明らかになってきているのに、
何故か検察司法当局の「厳罰化させよう」という方向を問題にする人達が少ないことです。
更に言えば、何故か一般市民側からも「罪を重くしちまえ。」といった声が多く聞かれます。
村木厚子さんの重大な検察による冤罪すれすれの事件を、
もう忘れてしまったのでしょうか。
私やあなたは、常に村木さんのようになる可能性にさらされています。

ちょっと不謹慎な言い方をしますが、
例えば飲酒運転ですが、
私は飲酒運転そのものを一律に重罰化することには問題があると考えています。
一杯のビールでふらふらに酔ってしまう人もいれば、
全く運動能力に影響の無い人もいます。
その飲酒が明らかに事故の原因となった場合に、
未必の故意を程度によって認めていけば良いのではと考えます。
過失による情状酌量の程度を減らせば良いのです。
酷ければ殺人罪を問えば良いと考えます。
また、もっと不謹慎な言い方をすれば、
ほろ酔いかげんのアイルトン・セナと、認知症すれすれの老人を比べたら、
おそらくアイルトン・セナの方が運転能力も判断能力も高いでしょう。
運転能力や判断能力が事故を起こす確率に影響することは、明らかだと思います。
ところが事故を起こしていなくてもアイルトン・セナは摘発されれば莫大な罰金を取られ、
老人のほうは摘発さえされないというのが、現状です。

運転をしない人にとっては、自分が運転事故を起こす可能性は全く無いので、
「交通事故なんて、どんどん取り締まりを厳しくして無くそう。」
麻薬なんて絶対に使うことがない人にとっては、自分が取り締まられる可能性が無いので、
「麻薬なんて、持ってたら死刑にしちまえ。」

「泥棒なんて、みんな無期懲役にしちまえ。」
「煙草なんて、麻薬に指定しちまえ。」
「痴漢なんて、社会から抹殺しちまえ。」
おれおれ詐欺をする奴なんて、社会から抹殺しちまえ。」

自分に関係がなければ、他の世界がどうなっても構わないのでしょうか?

しかも、日本では有罪・無罪が確定する前、しかも起訴される前であっても、
警察に逮捕されただけでマスコミが大騒ぎして、
その人の社会生命を抹殺してしまいます。
意図的な権力側のリーク情報によって。

最近誤認逮捕され、起訴までされてしまった人達が大きく報道されましたが、
あの人達の名誉回復をどうやって実現できるのでしょうか?
国家賠償金ですか?
マスコミの報道の責任は、ちゃんととられますか?

80年生きるとして、
赤ちゃんはこれから80年、死刑になる可能性があります。
なんと恐ろしい事に、
少年犯罪が増えているという全く嘘のデータによって、
少年法も厳罰化に向かっています。
これもまた、何故か一般市民の声までもが同調の兆しを見せているのです。
50歳の人はあと30年、
79歳の人はあと1年過ぎれば、ほぼ死刑になる可能性は無くなります。

しかし、私やあなたが大切に思っている人や、私やあなたの子孫は、
死刑になる可能性が続いて行くのです。

裁判員制度によって、国民に量刑まで判断させるのなら、
死刑執行のボタンを押す人も、
国民から無作為抽出で決めたらよいのではないかと思います。
自分ではない誰かがそのボタンを押してくれているから、
死刑制度は成り立っているのです。
自分では怖くて押せないでしょう。

こんな例以外にも、
最近おかしな法律がどんどん出来ているのです。
個人的に保存する場合であっても、
ダウンロードによって刑事罰を受けるという法律が実現されました。
http://stopillegaldownload.jp/about.html
そんな法律がある国家は、珍しいのです。
日本の法律が、世界で当たり前になっているわけでは決してありません。

話が大きくなりますが、
戦争も、
自分が戦争に行く可能性が少ない権力側の人達が決めます。
作戦を実行させる人は、前線には出ないのです。
原発事故でも、そうだったでしょう?
国民は、そうなったらたまらないので、反対します。
でも、権力側が決めたら、従わざるを得ないのが、国家というものです。

本当は、国民に主権がありますが、
日本の実態、また多くの世界の実態は、
あまりにかけ離れています。

政治権力側の犯罪的行為を罰するために、
資本社会の株主代表訴訟制度のような新たな法律が必要でしょう。
権力側に、
重大な過失や、意図的な不作為、または故意による犯罪的行為が認められる場合は、
官僚本人や政治家、またその組織に必ず責任をとらせる法律が。

そういったことを実現する政治家が現れるまで、我慢するしかないのでしょうか?

厳罰化社会というのは、
一見安全が守られて一般市民が生き易い社会のようで、
実は罰則にがんじがらめにされた一般市民を抑圧する社会なのです。