ネグレクト/ドメスティック・ヴァイオレンス 補足

前回最終と銘打ったのに、こうして補足を付けるのは反則なのですが。

昨日読み終えた加藤一二三棋士の、
「老いと勝負と信仰と」という本の中に、
私の気持ちにピッタリのキリスト教のお祈りが載っていたので、
ほぼそのまま抜粋します。

虐待する側の人間には届かないかもしれないけど、

虐待されている側の人、
いじめに苦しんでいる人、
声を上げられない人、
声を上げても誰にも届かないと感じている人、

そういった方々のために、なんて言ったらおこがましいので、
私自身を慰める為に、お祈りします。
私はキリスト教徒ではないのですが、祈らずにはいられないので、
苦しんでいる誰かに届きますよう、
心をこめてお祈りいたします。

以下抜粋(句読点と改行に加筆しています)

「平和を求める祈り」
私を、
あなたの平和の道具としてお使いください。

憎しみのあるところに愛を、
いさかいのあるところに赦しを、
分裂のあるところに一致を、
疑惑のあるところに希望を、
闇に光を、
悲しみのあるところに喜びを、
もたらすものとしてください。

慰められるよりも慰めることを、
理解されるよりは理解することを、
愛されるよりは愛することを、
私が求めますように。

私たちは与えるから受け、
赦すから赦され、
自分を捨てて死に、
永遠の命をいただくのですから。


「希望の祈り」
神よ、
私に、
変えられないことはそのまま受け入れる平静さと、
変えられることはすぐにそれを行う勇気と、
そしてそれを見分けるための智恵を、
どうぞお与えください。

以上抜粋

もし災いの渦中にいる方がこの文章を眼にされたなら、
私はあなたにお約束いたします。
私は日課として、このお祈りをいたします。

くじけてしまいそうな時、思い出して欲しいのです。
誰にもわかって貰えない苦しみは、
本当にあなたを苛み、現実的にあなたの体を蝕んでいることでしょう。
しかし、
私のような見知らぬ誰かが、あなたのことを思ってお祈りしています。
私は記憶力があやふやなので携帯電話にこのお祈りの文章を残して、
毎日お祈りします。

本当は、あなたのお側でお話をお聴きしたいのですが、
どうやったらいいのか良い智恵が浮かばず、
また行動に移す勇気も無いし、
現状では考えるのみなのです。

そしてこのお祈りに出会い、
せめてそれだけは実行いたします。
余計なお世話でしょうが、
お祈りいたします。