長嶋・松井/赤い炎・青い炎


ピッチャー  松井
キャッチャー 原
バッター   長嶋
主審     総理大臣

長嶋さんは、神様です。
自分のあらゆる行動に疑いを持たず、また周囲の人間にその行動を受け入れさせてしまう。
自分の天才を疑わない人は多数いるだろうが、
それを周囲に認めさせる人は、人間を一歩超えた何者かである。

このビデオの状況で、人間から見て一番恐ろしいのは、
長嶋さんは、打つ気満々であることだ。

長嶋さんは現役時代、打者として、
ストライク・ゾーンの球を確実に打つこと。
ボール・ゾーンの球を確実に見逃すこと。
どちらか判らないゾーンの球を、ファールすること(カットして、ファール・ゾーンに意図的に打ち損ねること)。
この三点をどこまでも追求してきた人である。

ところがこの場面で長嶋さんは、
「どんな球が来ても、必ず打ってやろう。」と考えていたはずである。
右手が不自由で、左手一本のスイングであるにも拘わらず。

これは常人から見たら、相当怖い。

もし、主審に総理大臣が立っていなければ、松井さんは打てる球を投げていたであろう。
そして長嶋さんはヒットし、
それはそれで、過去に無い喝采が沸き起こる光景が訪れたに違いない。

始球式というのは、そもそもバッターがわざと空振りをするということが前提なのである。

万が一長嶋さんが打ち損ねた場合、
そこからは神様にも想像のつかない事態が生じてしまう。
後方へのファール・チップ。
しかし、恐らくそうはならないとは思うのだが。

プロテクターを着けていない総理大臣に向かう、打ち損ねた球。

話を戻そう。
あなたが松井さんであるとして、どこに球を投げますか?

私なら選択肢として、
まず投げることは、断る。

どうしても投げるなら、
ワンバウンド以上(ツーバウンド、スリーバウンド、ゴロ)で、ベース板を通過する球を投げる。
ベンチの方向に誰かを立たせておき、そちらに向かって投げる。
例えば、一塁に清原を立たせ、牽制球を投げる。
投げる球を、もし打球が当たったとしても決して怪我のないような素材に変えて、
思い通りにストライク・ゾーンを目指して投げる。
これ以外では、まず投げる球は、無い。

しかし、松井さんなのである。
引退したとはいえ、肩を故障していないのにキャッチボールの出来ない元プロ野球選手など、
この世にいない。

球場の大観衆、そしてテレビ中継を通して観ている更なる大観衆。

彼が選択したのは、
万が一長嶋さんへのデッド・ボールになったとしても、
長嶋さんに決して怪我をさせない山なりの緩い投球で長嶋さんの頭上に近いインハイを目がけ、
打つ気満々の長嶋さんの振るバットには絶対に当たらず、
しかも必ず、もしかしたら飛びついてでも原さんが受け止め、
総理大臣には絶対に当たらない球を投げる。

これ、常人に投げられますかね。

でも、松井さんは投げたんだよね。

ここからは私の私見であるけど、
もし、再びこのような状況が訪れた時、
松井さんから必ず同じ球が投げられて、
長嶋さんが空振りし、
原さんが受け止めた瞬間に我に返ってその場から飛び退き、
総理大臣がストライク・コールをするというのは全く変わらずに繰り返されるはずだと思うんだよね。
何度でも。

赤い炎の長嶋。青い炎の松井。
私にとって、この二人は他のどの野球選手とも違う存在となる。

そしてそれが、この場と共鳴して産まれた奇蹟なのだと、
私は思うのです。