僕は、分裂している。

どうも目一杯本を読んでいるせいか、書きたいことが山積していて収拾がつかない。
でも書くんだね、ブログだから。
本当は、ちょっとしたギターの練習の成果みたいなものを載せたいんだが、録画とか、色々面倒なのだ。

分裂病というものが何を意味しているのか僕は調べたことがないので本当はよく判らないが、
僕の場合は、病院で診て貰う必要があるような、そういった決定的に病気であるということでは無いだろう。

僕は、様々に分裂する。
相手に合わせて。

例えば家庭内では、
神さんに合わせる。子供に合わせる。家庭を取り巻く環境、例えば、マンションの管理組合とか、
隣の住人とか、そういったものに合わせる。
親に合わせる。

勤務している会社内ならば、会社内の雰囲気に合わせる。
営業ならば、会社を背負った人間になる。

店で酒を飲んでいる時などは、
一緒に飲んでいる人がいるなら、第一にその場の雰囲気に合わせる。
それと共に、店の雰囲気にも合わせる。

こうしてブログを書いている今は、
ブログを書く自分という、自分の中の人格に合わせている。
本当の自分では、決して、無い。

生活上、必要な人格を自分で産み出し、
それに適当に自分を合わせて、生活を送っている。
立場と言っても、いいのかも知れない。
そこに、強制的に自分を押し込めながら、生きている。
ほぼ完全に分裂している、いくつもの自分を使い分けて、生きている。

僕が分裂しているのは当たり前だと思っていたのだが、
まわりの他人がそうだとは限らない。

こうして文章にしているけど、
この文章そのままに理解する人は、僕以外には、いないだろう。
書いている僕にさえ、意味はわからないんだ。
言葉なんて、ほんとに儚いもんだ。

あなたと会話するように本当は書きたいんだが、
それは無理だろう。文章構成能力が足りない。

自分が傲慢なのか、それとも他人が傲慢なのか、
それとも他人が傲慢だと思いたい自分がいるのか。
大変に問題なのだ、自分の中で。

まさか、誰かに認められたいのか?
それはとっくの昔に捨て去った感覚ではなかったのではないか?

ブログは、本当に素敵だ。
これは、自分を映す鏡だ。それで良いはずだ。
ここに閉じこもることは、無意味ではない。自分にとって。
新しいソーシャル・メディアには、目もくれない。

何かを投げようと思った自分がいけなかった。
僕は閉じこもる。

あ、そうか、分裂している自分を統合している自分が無くなると、
病院行きになるのかなぁ。