芝浜
落語についての話ですが、私は芝浜は演者によってはうまいなと感心しますが、
根本的には嫌いなストーリーです。
生意気な意見であることをご勘弁してもらうしかありませんが、
しかし、あらゆる表現は表現された瞬間から表現した本人の手を離れ、
受け取る側に全てが委ねられるものだと思っています。
どのように解釈されても仕方ないものだと。
夢を使うと、
どんな展開も造りだせます。
どんなに悲劇的なことでも、どんなに楽観的なことでも、
「それは、夢でした。」
これで、真逆に突き落とすことが出来ます。
芝浜は、神さんが旦那に夢だと信じ込ませますが、
いかに神さんの信じ込ませる手練手管が凄いものだろうが、その後の話が泣かせる話だろうが、
旦那は夢だったと信じ込んで、反省して生まれ変わっています。
その、生まれ変わった旦那に
「あのお金は、実は本当にここにあるんだ。」
と告げて、
また旦那に反省させる話なんて、
ちょっとおかしい。
騙しが2回もあって、反省するのは旦那だけだ。
この話は、どこか変だと私は思います。
しかも、手段として夢が使われています。
逆転して反転するのだから夢を使ってもいいのだという考え方もあるでしょう。
しかしね、そのストーリーは、私にはいただけないな。
落語は、単なるストーリーではないと思っているんですが、
どうしても気になっちゃう。
嫌いなストーリーに、
「大切な誰かが、死んじゃう」
というのもありますが。落語じゃなく、一般的なストーリーにおいてですが。
なので、このテーマに対するご意見を頂きたいと思っていますが、
それは、私のブログ内では難しいかな^^。