洗練

俺は職人だ。言い切っちゃって良いのかというと、良いのである。
何故なら、ホントに職人なのだ。
婦人ニット製品を、毎日作っている。
一部機械任せの部分もあるが、ほぼ全てが手作業。足も使う。ミシン踏んだり。
ご多分に洩れず、斜陽産業である。最先端の。
最先端斜陽産業。なんか素敵な響きだ。

おっそろしく手間がかかる。
扱っている製品のおおよその店頭価格は、シンプルなハイネック・セーターで28000円程度。
コート等の重衣料になると、ものによっては20万なんてものさえある。
一体誰がそんなもの買ってんのかと、不思議でさえある。
店頭ベースですよ、あくまで。それがうちの卸価格なら、1年でビルが建つよ。

想像が難しいかも知れないが、そのセーターをばらばらにすると、
基本的に前身、後ろ身、左右袖、襟で5パーツある。
ニット製品というのは、編み上がった生地というのが撚糸(編み糸の捩れ)、乾燥等により変形しており、
スチーム・アイロンを当てて生地を整えないと、その後の作業には進めない。
蒸気を含ませる事によって、本当に生きた生地になるのである。

100枚のセーターを作るのに500パーツあるのだが、
その後の裁断や縫製の方法によって様々ではあるが、500パーツ1枚1枚に手作業でスチーム・アイロンを当てる。

なんと退屈な作業であろうかと思われるかも知れないが、ちょっと違う。
勿論、退屈だと言えば、そう考える人もいるだろう。

最初の1枚にアイロンを当てるのと、次の1枚にアイロンを当てるのでは意味が違う。
必ず、少しずつ無駄な動きが省略されて行くのだ。
その作業は、より速く、より正確に、より疲労せず、生地を整えることを目標としているからだ。

その積み重ねは、洗練であると言えると思う。

ベルクソンが著書の中で、手作業でものを造ることの重要性を語っていたが、
その通りである。

職人的動きは、俺のような単純作業に限ったことではない。
スポーツや音楽といったことから、他にもあらゆる動きに展開できる。
自然界も。無駄な動きを許さない。もっと、厳しいとも言える。

そう思っている俺は、他人や、自然界の職人的動きを見ると、
感動する。ああ、いいなぁと、とても深く。

美という概念の中には、必ずこの「洗練」というワードが含まれるものだと、俺は考える。

最近ラジオのニュースで、
「音楽演奏とか、スポーツの習得といった訓練の中で、一定期間をおいた後に大脳新皮質下に一定の回路が造られ、それから上達が進むということが、マウスの実験により確認された。」
というのを聞いた。
以前記事にしたこともあるが、そんな事は俺は小学校3年生くらいから意識的に感じていたことであるので、
なんだそんなもんと、職人的に笑い飛ばした。何を偉そうにと言われようが、いいのだ、俺は職人だから。
経験は、仮説よりも必ず先んじるのである。

威張るときにこそ、おおいに威張れ、まきがいよ。


==========えっへん、おしまい=========