孤独に耐えよ

最近通勤時に通る道筋を変え、まぁよくありがちな、
用水路を暗渠にしてその上に人工的な水路を作り、そこに濾過した水を流している親水公園を歩くようになった。
木も花もたくさん植えられているし、水路の変化に従って歩く為のパースが適度にワインディングしているので、なかなか気持ちが良い。
鳥もとても多い。鳩以外は殆ど名前がわからないが、今の時期は燕も飛んでいる。
雀もたくさんいる。僕は鳥がとても好きなのだ。声も好きだし、燕の宙を泳いでいるかのような飛ぶ姿も、
ほんとうに惚れ惚れする。空飛ぶドルフィン。

葉は緑を返し、花は色を返す。光だ。
葉は光を利用する為にあるのだから、緑を返すということは、緑はいらないのだということになるのだろう。
そのいらない光が、僕に感銘を与え、思考の活力を与える。
なんと不思議なことよ。いらないのではなく、意識的に返してくれているのか。

花を見て、美しさを感じないという人がいるとしたら、
少し心が疲れている。

花は、花粉をめしべにつけさせる為に存在している。
自力でななく、他力による。
例えば風。虫。鳥。獣。実を作り、食べさせて生活圏を広げる。
なぜ自力ではないのだろう。

彼女達は、様々な方法を用いて他を誘惑する。
匂い、味、蜜、そして色。
どうやってその能力を獲得したのだろう。

熱帯に育つ花は色鮮やかに多様であり、高山に向かうにつれ淡く、画一に近づく。

彼女達は、全方位外交なのだ。
あらゆる可能性をさぐり、あらゆる生命に訴えかける。
色の多様性は、周りの環境内の生命の多様性をあらわしている。
隅々まで、全部に訴えかけようとする為に、能力を獲得した。

風は大気の存在をあらわしている。大気がなければ、どのみち育たない。

他力を使うという方法を、彼女達は選択し、自力を捨てた。

偶然?淘汰?

そんなことはあるはずがなかろう。

彼女達の、意思に決まっている。

蜜は、必ず何者かがそれを欲するだろうと、思考した結果だ。

葉の緑、花の色。

それを美しいと感じるはずだと、思考した結果だ。

人間のような生命体が、彼女達を保護し、育てたいと思う可能性を考えたに違いない。

動くものたちとのつながりに、彼女達は存続を賭けたのだ。

つまり彼女達はそうして僕に語りかけている。

その前で、僕は孤独だといえるか?

そうだろう?孤独という幻想に耐えよ、俺。


============おしまい===========