熱闘甲子園

灼熱の太陽。体力の限界。白球。鳴り響くサイレン。美しく揃った行進。
様々な応援歌。吹奏楽。プラカードによる人文字。
校歌という名の、軍歌。
よく戦ってくれた。ありがとう。爽やかな笑顔。美しい涙。

いくら周囲から指摘されてもやめようとしない前近代的な指導。しごき。画一的作戦。寮生活。
坊主頭。連帯責任。自己犠牲精神の徹底。想い出の甲子園の土拾いという、美しい土下座。
僕と同世代の高校野球では、水飲むな教育も、当たり前だった。

恐らく、プロに入ってからの収入。引退後の生活。
他の競技よりは、野球は恵まれているだろう。
従って、やはり今現在のスポーツとしては、国内トップと言えるだろう。
その選抜されたプロ選手は、大リーグというアメリカの野球にも通用している。

インターハイ。インカレ。国体。

世代別、地域別体力的有能者選抜。

ワールドカップ。オリンピック。

おそらく、大体全種目平均的に、日本の選手は優秀といえるだろう。格闘系も含めて。
陸上競技は、長距離ならばまぁまぁなのではないか。
まぁ、長距離側は、駅伝というまぁ競技としては良く解らない形ではあるが、
ある非常に特色のある新聞社が主催して応援しているけど。
そこは24時間もかけてマラソンし続けるという、
本当に良くわからない不思議なお祭りを、感動と言うストーリーとともに放送している。

日本が独力で打ち上げているロケットは、
打ち上げ易さ、移動し易さという点ではやはりトップクラス。
管制システムは、ノートパソコン一台。

無人輸送機は、ほぼピンポイントで宇宙ステーションに物資を届ける。

見失われたハヤブサは、
必死の電波探知捜索により発見され、
はい、いいえのワンビット通信を繰り返しながら姿勢を建て直し、
繋げるはずのなかった僅かなイオンエンジン出力を本来の目的とは違った形で繋ぎ直し、
ほぼ狙い通り大気圏突入を成功させ、
ほぼ狙い通り協力同盟国内の無人の大草原に落とし、
自分の体を燃やす事によって内部のカプセルを保護し、
カプセルが発するビーコンを追尾しながら、
待ち構えた回収隊により、無事回収された。
有人でやろうが、無人でやろうが、あんまし関係ないだろう。

軍隊というものは、
出来る限り優秀な人材により運営され、やはり出来る限り優秀な人材が実行したほうが良い。
勝たなくてもいいというなら、誰がやってもいいけど。

203高地作戦のような、
何万という同胞の屍を乗り越えて成功を得ても、
現代では国民が喜ぶことは、無いだろう。理解も得られまい。

選抜隊が、必要とされる。
志願兵だけでは、心もとない。

ドラフトは必要であり、
日本国内ではいつでも方向転換可能な形でシステムは構築され、保存されている。

帝国大学は必ず必要で、
出来ればノーベル賞程度は獲り続ける必要がある。
出来れば、国防及び戦史研究は、教養課程で全員に教えたほうが良い。
国際関係というのは、そこからしか見えないからだ。

さて、問題は、
今までのように良く解らないままに、静かに、隠蔽的に方向転換するのか、
誰かが高らかに方向転換を宣言して、転換するのかという点にあると思う。

国民の誰も望んでいないのに転換するのだとすれば、
或いは多くの国民が望んで転換するのだとしても、
どのみち転換するしかないのならば、

せめて誰かがはっきりと宣言する必要があると、僕は思うのだけど。

ドラフトは、徴兵にすると、はっきり宣言してもらいたい。

違うのかな。どうだろう。

ドラフトは、間違ったことじゃなく、
日本の中から真に優秀な人を選抜して、
真のエリートとして、日本の存続の為に頑張っていただく方法として大切なことだと、
当たり前のことだと僕は思う。

その方法が、国家として選択肢にも入らない国家と言うのは、
外国には殆ど無いのだ。植民地以外は。

植民地憲法が、そのままで良いというのも、
ちょっとおかしいんじゃないかと僕は普通に思うんだけど。
議論することさえ罷りならんと日本人が言うのはちょっと本末転倒で、
不思議なのは、
普段「言論の自由の危機だ。」とか、騒いでいるように見える人達が、
議論は罷りならんと言っているように見えることだ。
おいおい、それこそ言論弾圧じゃないのか。

違うのかなぁ。

現行の日本国憲法が、植民地憲法だと僕は決め付けているけど、

そうじゃないんだろうか。

僕は、選択さえしてはならないのだろうか。