自分て、何だ?
他人から見える自分を考えるより、
自分から見る自分を考えないと、
恐らくおいらとは違う方向の、どつぼにはまる。
おいらは自分から見る自分を考えて、どつぼにはまっているが、
それは、やや楽しい。
じゃ、他人から見える自分を考えて、
どつぼにはまらないのか?
おいらは、自分を考える自分と、
生きている自分を、別のものだと基本的に考えている。
なので、その二つの自分を、どうやったらうまく折り合えるのかを、
考えている。
何故なら、殆どその二つの自分は、常に反目し合うからだ。
体がこれを食べたいと言う時、おい、それ食っていいのかと、自分を考える自分が言う。
もう、寝ていたいと体が言う時、おい、起きろと、自分を考える自分が言う。
煙草は、おいらの体はやめろと言っているが、自分を考える自分が吸っている。
もう一個、基準が欲しくなる。
どちらに従うのが、正しいのか。
もう一個の、自分はいらない。
欲しくなるのは基準であるが、
それには従えないという立場が、おいらである。
おいらは、自分を考える自分に、自分全体に対して優位性を保持している。
ややこしいけど、自分の体は、やや使い捨てにしてもいいのかなという感じでもある。
冷たい感じがするかもしれないけど、
こう考えると、
おいらの体を考えるのも、あなたの体を考えるのも、
また、周りの世界を考えるのも、
共通の立場で考えられるような気がするのだ。
だから、自分の体を使い捨てに出来ないのだ。
あなたや、周りの世界を使い捨てにすることになってしまうからだ。