過去という、恥

まぁ、こうして何か書いているわけだけど、
今、こうしている自分は、まぁ、よい。

嫌ならば、書かないだけだ。

しかし、昨日書いたことは、何故か恥となっている。
書いたことだけじゃなくて、
誰かに言った事や、
誰かに起こした行動の殆どが、恥だ。

わかっているのに、何でやらかしてしまうのか。
大問題である。

何であんなこと言っちまったんだろう。

何であんなことやっちまったんだろう。

何で俺の記憶は、もっと激しく今の俺に「やめろ」と警告を与えないのか。
何故、その恥を思い出さないんだ。

ということは、
恥じゃないってことなんだろうか。
今、思い出している俺が恥と思ってるだけで、記憶そのものは、肯定しているんだろうか。

そんなはずはないだろう。
自分の生命に重大な危機が訪れた時の恐怖が記憶の基本的構造だとすれば、
過去が恥の連続であることは理解できる。
その割りに、警告の強度が足らないぞ。
頑張れ、俺の記憶。

今、俺が見ている世界は、
全て、俺の投影のような気がする。

空でも、星でも、山でも、海でも、
あなたでも、

あなたの何事も理解できるはずはなく、
見えているのは、あなたの中にある俺だろう。

それを見ようとすることも、
かなり難しい。

探しているのは、俺自身だ。