ごめんなさいと、吉田選手に言われたならば。

ボルト選手が、今日、素晴らしい走りで200mも金メダルを獲った。

仮定してはいけない問題だと思う。
しかし敢えて、
もし今日ボルト選手が途中でこけていたならば。
又は、全力で走り切ったのだけど決勝戦で2位になったならば。

ボルト選手はごめんなさいと、泣きながら言うだろうか。

吉田選手の号泣を見て僕が思ったのは、
日本人的社会の決定的な、間違いだ。

その正体は、
過程に対する異常な執着だ。
それは、天才への軽視なのかも知れない。

地道な努力こそが大事で、結果はその現れに過ぎないという、
何というか不思議な考え方に思えるのだけど、
天才が努力もしないように見えながら成功という結果を出したとしても、恐らく日本では認められない。
天才は天才から見た考え方で、一般人には理解できない努力をしているにもかかわらず。
さらっと成功しては、駄目なのだ。地道に歩む姿を見せないと。

地道の正体は、しがらみだ。全く根拠のない歴史の亡霊。

おいらは、日本の為なら命を懸けても良いと今は思っているけど、
その為に地道に努力して、結果を考えずに奉仕せよと言われれば、受け入れられない。

目標をきちんと提示して、
更にその目標を達成することで自分なりの成果が感じられるならば、命を懸けよう。

又は、自分内から湧き上がる思いに従って、命を懸けても良い。

わけの判らぬしがらみは、革命的に滅ぼすべきだ。

唾棄すべきは、盲目的な誤信による地道な努力だ。

出来合いのストーリーを、吉田選手の涙で流し去ろう。