誤解

錯覚に類する自分の脳補正を意識しないと、
現代の人間同士では言い争いが始まり、
やがて戦争になる。
視覚に限っても、僕が見ている赤と、誰かが見ている赤は、恐らく違う。
記憶まで広げれば、
その錯覚は指数関数的な広がりで、誤解を産んでいる。
記憶に対する自分の脳内補正は、とてもシリアスだろう。
自分で補正を意識するのは難しい。

なので、世界の大概の事を僕は誤解しており、
その誤解を前提としないと、
僕は他の誰かと根本的なコミュニケーションするのが困難だ。

相手は俺を誤解している。
俺も、同様に相手を誤解している。

俺はやや、相手の誤解を優先して、
基本的なコミュニケーションに対峙している。

どの道誤解だらけなので、
コミュニケーションをやめることも、選択肢にある。

では、強姦で子孫を増やすのか、
和姦で増やすのか。

増やさなくても、いいのか。

あなたが好きですと、伝えなくていいのか。

相手が花であろうが、そらであろうが、イルカであろうが、セミであろうが、
俺はあなたが好きだという気持ちは、伝えたい。