底辺に流れる美しい調べ
おいらは恐らく、あらゆるものに惚れっぽい。
しかし、惚れかけたもの全てに対して徹底的に惚れるわけじゃない。
当たり前だが、そんなに暇があるわけじゃない。
徹底的に惚れて、殆ど熱病にかかったように対象を追い求めていくと、
やがて飽きる。
恐らく、無意識でも惚れているという状態になったということではないだろうか。
色んなものに対して、そうやって飽きるまで追い込んできたけど、
飽きたものには必ず、
底辺に美しい調べが流れている。
「ああ、そうか。この人はここを見ているのか。これを創った人は、ここを見ているのか。」
それは調べなので、流れ続けているものだ。固定されているものではない。
そうして、
おいらが求め続けているものの正体は、
調べに関するものだと、薄っすらと知った。
美しい調べに身を委ねる時。委ねている時。翻弄されている時。
おいらはとても幸せだ。
幸せは、何かを徹底してみなければ、
おいらには訪れることはない。
その調べを奏でる人、ものは、
おいらにとっては信仰の対象にも、なる。