自己否定という嘘っぱち

自己否定という言葉はあるけど、そんなものは世の中に存在しない。
自己を徹底的に否定してしまえば、自己は存在し得ない。

自己の存在を認めていながら、自己否定ごっこをするのは止めてみないか。
自己否定している人に問いたい。何で生きてるの?

自己否定をやや緩めた、自分嫌いってものもあるけど、
自分を嫌って、何処に行くのだろう。全くわからない。

自己否定の反対は自己肯定じゃない。自分嫌いの反対は自分好きではない。
静かに、そこに存在しているっていう緩衝地帯がある。

俺は薄々感じてるんだ、自分嫌いや自己否定ごっこをしている人の行きつく先を。

数日前、周囲に迷惑をまき散らしながら自爆しやがった老人。
程度を下げれば、電車に飛び込む不思議な人。

自分が周囲から否定されていると勘違いした人達。嫌われていると勘違いした人達。

周囲は、自分が生きることに一生懸命なんでね、
そういった意気地なしのことは気にしてられないのよ。
否定も嫌いもしない。気に出来ないだけだ。自分だけで目一杯だから。

若者の引きこもりなんて、ただの我儘なのは明らかでしょう。
引きこもり老人だって、しょうもない頑固な我儘。

誰かのせいにして、何かのせいにして、
ヌクヌクと生きる奇妙な生き物。

自分という出来事は、自分で引き受けるしかない。
当たり前すぎて、そんなこと考えてもみなかったんだけど、
あの自爆老人を見て、考えるしかなくなった。

自己肯定している自分を見ないふりをして、自己否定ごっこを続けると、
人のふりをした妖怪になってしまう。モンスターになる。

そいつは、生命存在の、敵だ。

自分を救うのは、自分しかいない。絶対に、そうだ。

ちっぽけな自分を可愛がってやるしかない。
ちっぽけが嫌なら、そうならないように努力するしかない。

自分を自分で引き受けることは、簡単ではない。
大きな苦労があるし、俺はその真っただ中にある。
だけど、それは当たり前のことだ。

周囲をよく見ると、
みんな当たり前に存在している。

俺は、あの自爆老人的存在を、憎んでいる。勝手に消え去って欲しい。