神様は、自分で造った方がはやい。

なんと不謹慎な。冒瀆的な。神をも恐れぬ。バチが当たる。地獄に落ちる。
魔女裁判にかけられる。末代まで祟る。因縁が悪い。
まぁ、何と言われても仕方がない。

おいらは音楽から神様を想像し、創造しようとしている。

音楽を追い求める人に尋ねたいことがあるのだけど、
答えはある程度想像している。

わからないだろう。
何故研究し、練習し、演奏し、歌い、踊り、絶望し、
でも尚、研究し、練習し、演奏し、歌い、踊って絶望するのか。
又、音楽に身を捧げる時、
例えようのない幸福感に包まれるのか。

誰に求められたわけではなく、自分が求めているのかもわからず、
しかし、どうしようもなく追い求めてしまう力が、
何処から来るのか。

バイブル的な何かを研究し、身を委ね、祈り、唱え、舞い、突き落とされ、
でも尚、研究し、身を委ね、祈り、唱え、舞って突き落とされるのか。
又、神に身を捧げる時、
例えようのない幸福感に包まれるのか。

どちらも追い求める力が何処から来るのかは、
わからない。

ならば、おいらは音楽の方を、疑いようなく選ぶ。
信仰心と、殆ど変わらないだろう。

おいらは音楽を選ぶけど、
別に音楽じゃなくても構わない。

石ころでも、花でも、星でも、牛でも、くじらでも、
何でも構わないけど、

注意するのはそれを本当に追い求めているのかどうか。
本当に追い求めているならば、

そこから神様を自分で造った方がはやいし、
間違いなく、ストレスなく、
追い求め続けられるはずだと、おいらは考える。

神様が自分の中で育ってくれるならば、
あなたに寄り添うのは疑いなく当たり前のことになるような気がする。