命の大切さ。そのⅠ

毎日、命をおろそかに扱ってしまう人間のニュースがメディアを賑わせています。だいたい、飲み物さえ与えられずに衰弱していく我が子の姿を死んでしまうまで見ている人の神経って、どうなってしまったのでしょう。私は特定の宗教に帰依するものではありませんが、魂という存在を信じています。命は他の命の犠牲によって、成り立っています。例えば人は、肉や野菜の命をもらい、またその肉や野菜も大地の命を受け継ぎ、自身の命を維持するものです。私はそうした自然や生き物の命すべてに、魂が宿っていると考えます。魂は、その宿った命の中で、ひたすらにピュアな存在になる為に、日々を送っています。命は決して自分だけのものでは、ないのです。魂をゆっくりとピュアな方向へと導く、揺りかごなのです。犠牲になった肉や野菜の命はそこで形あるものではなくなりますが、魂は受け継がれ、やはり次の命のなかでピュアになろうと努めます。やがてその人も寿命を終えるとき、大地や自然に、その魂を解き放ち、次の命に宿る時を待つのです。ところが自殺や殺人、無意味な自然破壊などによって突然その宿りぬしを失った魂は、次の命に宿る為の道を見失い、物質世界をさまようことになってしまいます。そういったさまよう魂は、誰かに祈られることでしか、進むべき道に戻ることはできません。  
       to be continued