聖の青春

聖の青春 (講談社文庫)

聖の青春 (講談社文庫)

 著者の大崎氏は将棋界に非常に深く関わる方で、従って作中に登場する将棋関係者はプロ棋士も含めて全て実名です。この小説は日本将棋連盟A級リーグ在籍のまま若くして亡くなった、村山聖棋士の生きようを描いた、小説と言うより、儚く美しい青春の記録なのです。
 私がこの本を涙無くして読めたのは最初のほんの数ページで、進むにつれ涙だけでは無く時に嗚咽し、ページを繰って行くのが非常に辛い状況となりました。通勤電車の中でも読んでいたのですが、その際には乗る前にまずハンカチを手に握り、心を落ち着け、車両のなるべく隅っこに立って、流れ落ちようとする涙を抑え、またそのハンカチをきつく噛み締めて嗚咽をこらえるという電車内ではあるまじき有様でしたが、読み始めると止まらなくなるのが私の常なので、読了するまでの数日間は通勤電車内である意味完全に不審者でありました。
 聖少年は幼い頃にネフローゼという難病を患い、病が悪化するにつれ、義務教育の為の院内学級を備えた入院施設で、親元からも離れて生活の全てを送るようになりました。その場所には通院や通学などの体力的消耗に耐えられない程の病気を抱えた子供達が入院しており、昨日まで一緒に学びながら闘病していた仲間の病室が次の日にはその部屋が整理され、それは完治して退院して行くのではなく、その部屋の仲間の粛然とした死を意味するものであるという、私達の日常とは全くかけ離れた世界なのでした。そういった非常に希望を持ちにくい生活の中で、彼は父親に差し入れられた一冊の将棋の本に出会い、そこにわずかに開かれた未来への道を見出すのです。それからは両親にあらゆる将棋関連の本を差し入れてもらい、それが将来プロ棋士となった村山棋士のとても大きな礎となったのです。
 語られていくエピソードの一つ一つが美しい詩を鑑賞しているかのように心に届き、ご両親の精一杯のサポート、師匠である森棋士とのふれあい、ライバルでもある奨励会や連盟の仲間との交流、そういったものの底辺に常に垣間見える村山九段の焦燥感。それはおそらく普通の人より短いであろう己の寿命という残された時間との戦いでもあるのでした。
 病魔は手を緩めることなく彼に襲いかかり、膀胱ガン、そして再発と、残された時間を奪い続けました。「いつか必ず谷川浩司を倒し、名人になってやるんだ。」彼の人生の命題でもあったその夢は果たされることなく、連盟A級リーグ在籍のまま、その人生と共に幕を降ろされました。
 運命の全てを受け入れ、目の前にある生(せい)を力の限りに生き抜いたその純粋な姿が、読む者の心にとてつもない大きな力を持って迫ります。
 将棋の知識の有無は、この本を読み進める事になんの妨げにはなりません。
 男女、年齢(中学生以上がお勧めですが。。。)を問わず、必読の一冊なんだ〜〜。
 ちなみに、後書きに村山九段の戦った主な対局の記録である棋譜が載っています。私の父は病院関係の仕事を定年退職した時にその院長から譲られた割と本格的な盤と駒を持っているので、実家に帰ると父につきあって、棋譜を追いながら実際に駒を動かして、楽しんだりしています。