平均律クラヴィーア曲集

バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻

バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻

 私が何故ジャズピアノ、特にエヴァンスにはまったかといえば、聴いていると非常に頭がすっきりするから。スケールをパパパッっと弾かれると、まるで頭の中にある鍵盤をスタタタッと叩かれているみたいで、もやもやしたものがすっきり晴れてくる気がするんだ。熟練した料理人が野菜の千切りする時みたいな、感じもする。
 で、関係ないけどバッハ探しているうちに目に留まったのが、このCD。私はこれに出会うまで、平均律という言葉さえ、知りませんでした;;。
 私は、ピアノ(現在)の調律って、きちんと施せば、絶対的なものだとばっかり思っていた。違うんだ〜〜〜
 ちょっとずつ、曖昧なんだね;;。私の家にあるのは電子ピアノなので、すっかり安心していたのに。。。。
 ま、まさに目からうろこの発見でした。絶対的な音階というのは、まさに神のみぞ知るということで、やはり人間世界は常に揺らいでいるんだね。弦楽4重奏などを聴いている時に感じていた奇妙な曖昧さは、ピアノに比べてということで、それはピアノの音階に慣れすぎているという事でしかなかった。
 ま、しかし、その平均律のおかげで、現在に至るまでの音楽の発展もあるわけです。なければ別の発展もあったのでしょうが。
 プレリュード、フーガ。プレリュード、フーガ。プレリュード、フーガ。・・・・・・・・
 バッハは考えうる全ての曲調を決まった形式で描くことにより、神の示された美しき調和、音階を表現しようと挑み、それは世界、或いは宇宙そのものを表現することと同意語であり、この曲集はある意味哲学書であるような気がします。
 まさに自己の心を通して神が何かを為されようとする感覚を得ていたのでは、ないでしょうか。
 私はキース以外演奏者によるこの楽曲集のプレーを聴いていないのではっきりと言えませんが、キースのプレイは相当速めなんじゃないかな。遊び心を抑え、作曲者の意向を理解し、更にそこにプレーヤーとしての解釈を付け加える。ジャズにもクラッシクにもいえる解釈というものの重要さ。
 バッハがもし生きてキースのプレーを聴いたなら、そこで「ニヤリ。」と笑い、それに答えるようにキースも「ニヤリ。」
 そのやり取りこそ、ジャズの持つ楽しさではないかと、感じました。
 ちなみに、八分の六拍子の速いプレリュードが私はやっぱり好きだな。難しい曲ほどさらっと、にやりと、プレーしているキースの表情が見えてくる様でもあります。

    =====終わり=====