友人の死

 今日は自分の気持ちを整理する為だけにこの場を借りる。とても暗い話なので、見たくない方はどうぞ素通りして下さい。

 先週の日曜日の朝、電話が鳴った。時間帯からして、好ましい内容ではないだろうと想像したが、現実は想像を超える物だった。
 「A子(仮名)がね、自殺しちゃったんだ。」
 俺に電話をくれたその友人は泣きじゃくってしまい、電話を変わった奥さんから状況を伝え聞いた。

 中学3年の時に仲良くなった男4人、女3人のグループは、卒業後も、十代、二十代と皆で旅行したり、酒を飲んだり、またくだらない話をだらだらとする為だけに集まったりと、時には頻繁に、時には少し疎遠になったりと繰り返しながら、交際を続けていた。
 やがてその中から一組のカップルが生まれ、夫婦となった。俺に電話をくれた友人だ。
 そして三十代、それぞれに家庭を持ち、子供を持つ者も増え始め、安定してくると、家族を含めてバーベキューをしたり、大きな公園にピクニックに行ったりと、交際の内容も変化して行った。
 四十代になり、ここ数年は友人のマンションの近くにある川沿いの桜並木で、毎年一回は花見でバーベキューを楽しんでいた。

 そんな仲間の中心だったのが、A子だ。もちろん今年の4月の花見にも旦那さんと2人で来てくれた。旦那さんは、お酒を全く飲まない人なんだけど、いつも彼女に寄り添って、俺達と付き合ってくれていたんだ。今年は2人のお嬢さんは来なかったけど、飲んでくどくなった俺の話を、いつものように受け止めてくれていた。
 そして彼女は、自ら命を絶ってしまった。

 ご家族の迷惑を省みずに、俺達は彼女の家に押しかけ、お別れをさせてもらった。
 眠っているかのような彼女の姿。
 
 葬儀が終わった今、俺達は未だ混迷の中にいる。
 
 あらゆる想い出の中に彼女が存在している以上、忘れさることは出来ない。想い出と共に、生きていくしかないのだ。

 鬱という恐ろしい病は、きっかけは様々な事だろうが、発症してしまうとあらゆる考えを死へと向かわせてしまうのだろうと、俺は考えている。
 そうでなければ、可愛いお嬢さん達や、ほんとに彼女を愛していた旦那さん、年老いてゆくご両親、心の片隅にあったであろう俺達。
 そういったあらゆる想いを断ち切ることなど、出来るはずがないんだ。
 ご両親に、ごめんなさいと繰り返し、一緒にお墓に入れてくださいと遺言するなんて、病気以外の理由を思いつかない。

 何故気付いてあげられなかったかと、俺達の誰もが感じているだろう。彼女の家族でも止められなかったことを、俺達が止められたはずもないことは、わかっているのだが。

 日々の生活が、やや現実感を失ってしまっている。
 唯一、支えとなってくれているのは、かみさんの笑顔だ。
 日々の生活を支える、彼女の力強さだ。


最後に、自からの死と向き合ってしまっている人がいるとしたら、最低限考えてもらいたいことがある。
 その行為は、あなたを大切に想っている人に、途方もない喪失感を
与える。
 俺は、その喪失感を、受け止めきれず、途方に暮れている。

======おしまい======