オープンは、ま、楽しいことは楽しいけれど。。。

ギターのオープンチューニングというのは、大雑把に言ってスタンダード・チューニング(EADGBE)から複数の弦のチューニングを半音や一音、二音と下げて、左手は何も押さえずに開放でジャ〜〜ンと鳴らした時に、ある特定の和音が鳴るようにしたチューニングの事です。オープンGとか、オープンA、オープンDなど、市民権を得ているチューニングも色々ある。詳しいチューニング方法は、他のサイトを見てください。ここでは割愛。
ま、一般的に言って、各弦のチューニングを上げることによってオープンにするというのは、無い。物理的に、ギターの弦と言うのは上げすぎるとそのテンションに耐え切れず、切れる。しかも、無理してる為に狂い易いんだね。
どのような効果があるかと言うと、ま、耳慣れない分、豊かなイメージを持つサウンドを得られる。
また、メジャー・コードにオープンでチューニングすると、マイナーコード以外は左指一本で1フレットずつずらしてセーハしていけば全てのメジャー・コードを表現できます。
俺の感覚では、スタンダード・チューニングで鳴らすコードがヨーロッパ的な感じがするのに対し、オープンではオリエンタルな、或いはアジアンテイストな感じがします。
チューニングをいじってしまう以上、当然音階の指使いはスタンダードとは全く変わり、コードでも音階でも、左手の押さえる位置は全く変わります。
コード弾きの多い曲、複雑なアルペジオハーモニクスなどを表現する時など、びっくりするほどその効果は大きい。


で、以上を踏まえた上で、批判的な意見を述べるので、以下はオープン大好きという方は、読み飛ばして下さい。

オープンチューニングというのは、それが一般に音楽として受け入れられる事を無視すれば、無限に作り出せます。要するに、狂ったチューニングと聴こえてしまうチューニングもあり、特定のコードにならないチューニングもあるわけなので。
例えば、極端に言えば、一弦のみ半音下げるとかして、オープンで不協和音になるチューニングも可能な訳です。
そういった極端なチューニングを含めて、オープンというのは、その曲の理解が難解になり、よりマニアックな方向へとギター・ミュージックを向かわせます。
俺は、好きなフィンガースタイル・ギターのプレーヤーの演奏をコピーして、自分でも演奏してみる事によって、よりその演奏曲への理解が深まるものだと、考えています。
そうか、だからこの指使いなのか、とか、こっからこう押さえるのは相当練習が必要だなとか、奏者や作曲者やアレンジャーの気持ちに近づける気がするんだ。
オープン使われると、まず耳コピーでは難しくなる。
それほどに、スタンダード・チューニングというものが普及しきってしまっているのだ。

なので、例えば1枚のCDを作るとした場合、12曲入れるなら、オープン使うのはその内の2曲程度にして欲しい。しかも、そのチューニングは公表すべきだと思う。
その他は、スタンダードで勝負して欲しいのだ。

俺がYOUTUBEで観た中で極端なものは、オープンチューニングを施したギターの6〜4弦の5フレットあたりだけにカポをはめ、3〜1はカポ無しの状態で演奏しているのがあったけど、そこまでやってしまったら、演奏を観なきゃ理解出来ない。
聴いただけでは、その奏法がどれほどのものなのか全く解らないのです。
大体、そういった奏者はギターの形状も、奇抜なものを使用したりしている。10弦ギターとか。
そんなギター、買えない。っていうか、特注するしかない。
そういった、マニアックな方向では、ソロギター・ミュージックの未来は全く無いと、俺には思えるのです。
ただでさえ、ギターを弾いていない人に理解されにくい音楽なのに、ギター弾いている人のなかでもほんの一部にしか理解されない音楽作っても、俺はしかたないと思う。

音楽に限らず、あらゆる芸術や、著述、プロのスポーツなど、他人に見てもらう行為は、少ない人数より、少しでも多くの人に楽しんでもらうという性格を、宿命として持っています。

ちなみに、6弦のみ1音下げてDにする、ドロップ・インDというのは、オープン・チューニングには含まれないと、俺は思います。
Dキーの曲では、6弦のE音は大変邪魔な存在で、Dに下げることで、簡単に、豊かなサウンドを得られます。
それは、当たり前に使用OKじゃないかな〜〜。


==============おしまい=============