神様の源平盛衰記


この前、西の桂枝雀師匠の事を書いたので、東の談志師匠を。
ま、無学な俺がこんなことしちゃいけないのを、あえて書いています。
体調のこともあって、談志師匠は非常に気力が無くなっていると聞いた。
俺、思うのだけど、
一般的に言えば、談志師匠は人間であるのだけれど、
落語世界で言ったら、神様ですね。
だから、もう、俺は神様なんだって、開き直っちゃってくれたら、
もう少しはこっちの世界に付き合ってもらえるんじゃないのかなぁ。
つきつめて自分という化け物と戦ってしまっては、そりゃ疲れ果てちゃうから。
ただ、落語って、
人間のあらゆる面をほじくり返し、ばらばらにほどいて、再構築してっていうのを繰り返すわけなので、
ってことは、自分をほじくり返す為に、更に自分と向き合うしかないのかなぁ。
肉体は、どうやっても捨てられないしなぁ。
難題だ。
俺、志ん生師匠が好きだけど、
あの、つき抜けちゃった感じは、まさに生き神様なんだけどなぁ。

元気が戻ることを、心からお祈りしています。