日本柔道の落日

オリンピック競技を終えた選手の皆さん、お疲れ様でした。
まだ続いているので、残りの競技にも更なる期待が高まりますね。

スポーツにおいても、現代では科学の時代と言えますね。

見事に実を結んだ水泳、体操、日本では苦手であったトラック競技でさえ、
結実する日は近いような気がしてきます。

科学とは、
実験や理論の積み重ねによって、
誰もが納得できる状況を産み出します。

新しい事実が発見されれば、過去の理論を反省して、
またそこから、新しい理論を積み上げていきます。

完全に、理論のないスポーツは、
もう、スポーツとして成り立たない時代になっていると思います。

ところが、、、、、
柔道に、基本的な、日本的伝統主義の弊害が見られる気がしますね。

柔道は、もちろん日本が産み出した素晴らしい体術で、
それがオリンピック競技として世界に認知されるに至ったことは、
賞賛されるべきことでしょう。

日本から始まったので、始まった当初は日本が一番であるのは当然なことで、
だんだん世界に広まるに従って、
日本が相対的に地位を下げていくのは、また、当然です。

日本の世の中は、オカルト(科学的な根拠を持たない迷信)に支配されていることが多い。

占いとか、霊とか、予言とか、
朝から晩まで、テレビでさんざん取り上げられて、

霊感商法的に洗脳されていますね。

ある意味、俺俺詐欺なんて、その代表だと俺には思えます。

ちょっと本題から逸れてしまいましたが、
日本柔道も、ちょっとオカルト的に、なりすぎているのではと、思うのです。

「気合で乗り越えろ」

これが、お題目。

こんな感じでは、未来は無い。

水泳などでは、おそらく科学的トレーニングを積み重ねることにより、
選手に成果の実感を与えて精神的な強さを加え、
実戦においては、
プレッシャーから選手を解放しています。

「こうこう、こういったトレーニングがあなたに必要で、
 これを続けて、必要な筋肉を必要なだけつければ、
 タイムが0.02秒は必ず上回る。」
「ターンの動きに無駄があるので、
 それを無くすことができれば、
 それだけでライバルに勝てる。」

これが、科学でしょう。

ところが、柔道では。
「とにかく、稽古しろ。」
「ぶっ倒れたら、水かけて起こして、またふらふらになるまで稽古しろ。」
「お前は気合が足らないから、駄目なんだ。」

極端に言ってこういった非科学的なトレーニングによって、
「こんなことしていて、勝てるのか?」というような不安感を選手に与えて、
「気合で勝て。」と言って、
実戦において過度のプレッシャーを選手に与える。

これで、近代競技として、試合で勝てますか?

最近では、田村選手や、野村選手のように、
伝統主義から個人的に脱出できた人が、
活躍できたように、俺には思えます。

精神的な主柱として、監督は必要でしょう。
ただ、科学的なトレーニングを選手に与えるコーチも、必要でしょう。

バレーボールにも、
やや、伝統主義が見られて、
せっかく科学的手法が取り入れられていても、
最終的に
「気合。」
というオカルトに縛られているような気がします。

で、何が言いたいのかと言うと、
「オカルト」は、駄目だということです。

======おしまい=======