党首が落ちた。。。

新聞で、街宣車から落ちかかったある政党の党首の記事を見た。
「あ、こりゃもう、駄目だな。」と思った。

ちょうど図書館の阿佐田哲也作品を読み直している途中なので、色々と内容を思い出しながら、
「勝負に賭ける勝負師の姿」をそれに重ねて考える。

麻雀に限らず、勝負師は生命を削るようにして勝負に挑む。
政治と博打を並べては悪いが、
彼にとって今回の選挙は一世一代、乾坤一擲の勝負ではないのか。
それが、あろうことか梯子から足を滑らせた。

確か「麻雀狂時代」という作品の中で、
ばくち打ちの「不死身の空野」とノミ屋殺しの「関プロ」の、
まさに殺し合いともいえるサシ(1対1)の勝負が描かれている。

巨額の配当を吐き出していく空野は、札束(ヅク)の詰まった押入れを見つめながら、
「殺されるのか?」という不安を押し殺すように、
買い目を告げる電話を平然と受け続ける。
奇蹟のように的中を重ねる関プロは、実は死の病に冒され、病院のベッドから舎弟分に買い目を指示していたのだ。
舎弟分にこう話す。
「奴(空野)はもう少しで仕上がる(破産する)。病気の事は絶対に悟られてはならん。」

そうでなくてもちょっとした不利な情報を与えることが、勝負を左右するものだからだ。
多くのバイニン達が、自分の中にある「不安」という敵に負けて一線から退き、
またその勝者は自身の人格や生命を破壊していく。

彼は足など滑らせている場合ではなかったのだ。
そのことは、必ず「選挙に落ちる」ことを連想させる。
ばくち打ちならその勝負は「見(ケン)」に回るかもしれないが、
彼はそうはいかない。
引くことの出来ない勝負なのだ。

だめだな。