錯覚する脳

錯覚する脳―「おいしい」も「痛い」も幻想だった

錯覚する脳―「おいしい」も「痛い」も幻想だった

前回読んだ「脳はなぜ心を作ったのか」の続編みたいな本。
1歩踏み込んで、哲学や宗教的見地からの受動意識仮説が検証される。
当然、クオリア問題は脳機能からの意見でくくれるはずがなく、
哲学や宗教と切り離せない。
説が正しいとか、間違いだとか、そういうことではない読み方が必要になると思う。

ちなみに私の釈迦の哲学的解釈は、以下のビデオによるもので、
苫米地氏の解釈をほぼ全面的に認めている。
ということで、数々の日本における宗教としての仏教における釈迦というよりも、
哲学する人間として釈迦を捉えている。








従って、釈迦を神として扱ったり、
生まれ変わりや死後の世界を仏教として扱うようなタイプの宗教派閥は信用しない。
それは、釈迦の哲学を人間の手垢にまみれさせたものではないかと考える。