日本人であること
小室直樹先生から始めた読書の旅であるが、
ほぼ手当たり次第に色んな本を読み続け、
今ハイデッガー、フッサールと格闘中である。
勿論、理解には程遠い。
ゲーデルの不完全性定理の解説本には参った。数学の基礎知識が完全に不足していて、さっぱりわからなかった。
並行して、YOUTUBEから評論や講義をMP3に落として朝から晩まで聴いている。
中野剛志、三橋貴明、宮台真司、宮崎哲弥、西部邁などが中心で、
チャンネル桜の番組なども聴いている。
読み方や聴き方に偏りがあるとは思うが、仕方が無い。
人間の使える時間には限界があるし、
そもそも全ての情報を知り得ることは出来ない。
自分のフィルターを通すしかないので。
以前、「偏見がないほうが良いという偏見」といったことを書いたけど、
それは克服した。
自分の偏見は自分そのものなので、
自分の偏見を、常に確信せず疑いを持ち続ける姿勢があれば良いのだということを、
西部先生から学んだ。
とにかく、頭の良い人はたくさんいる。
西部先生はもの凄い。
言葉を簡単に前提とすることをせず、
そこを疑うことから議論を始めるので言葉に大変な力が宿る。
例えば、イデオロギーという言葉をとっても、
それはイデアとロゴスから成り立っているというところから始めるのだ。
その徹底ぶりは気持ちが良い。
説が正しいとか、間違っているということではなく、
言論に嘘が全く無いのだ。
そういった生活をしながら、
「日本人であること」って、いいなぁと思いつつ、
それって、何だろうなぁと考え始めた。
で、ひとつ思いついたので、ここに書いておくことにした。
松尾芭蕉の句
古池や 蛙飛び込む 水の音
閑さや 岩に沁み入る 蝉の声
どちらも日本人なら知らない人はいないだろう。
僕の勝手な解釈だが、
前者は世の中のありよう。世界といっても、宇宙といってもいい。
カエルがポチャンと池に飛び込みました。ただそれだけ。
それが世の中のありようだよ、ただ、そういうことなんだよ、他には何もないよ。
後者は心の中のありよう。宇宙とつながる精神。
確かに蝉の鳴き声が聴こえているのに、
心に閑さが訪れる。
それが心のありようだよ、そうなんだ。
そういった言葉の連なりを
ありありと、現実のものとして実感できる。
それが日本人。
奥の細道を読むという課題が出来てしまった。(;´д`)トホホ