ネグレクト/ドメスティック・ヴァイオレンス(その1)

=この記事は、大幅に加筆・訂正を加えることがあります。難しい問題なので=

いじめ・体罰児童虐待その他、暴力或いは暴力的精神圧力による事件。事件になっていない、隠れた事件。

根本的な原因は、私はこう考える。

<<「個々の生命というものは、誰にも従わない。」そうであるのに、従わせられると考える人が、少なからず存在することだ。>>

自分のことをよく考えてみる。
自分自身の肉体や精神でさえ、自分の思い通りにはならない。

病気を治そうといくら頑張ったところで、
治るものは治るし、治らないものは治らない。いずれにしろ、強制的に治るというものではない。
又、いくら速く走りたくても、足はそううまくは動かない。

そんな人、好きになっちゃいけないと思っていても、
どうしようもなく人は恋に落ちる。
その人がどんなに悪い人だと言われていようが、
己が泥まみれになっても、恋に生きてしまうものでしょう。

自分のことさえ思い通りにはならないのに、
なんで自分以外の何者かを思い通りに出来るというのだろう。

あなたにお子さんがいるとしまょう。
その子供は、
産まれた時から、あなたの所有物ではありません。
産声をあげたその子は、
何故自分が泣いているのかを知りません。
何も無い肺に息が入って吐き出した音が、私たちには泣き声に聴こえるのでしょう。
その苦痛を想像し、不安を想像し、
安らかな眠りにつくまで、その泣き声を聴いた私たちの、不断の関与が必要です。

あなたや、あなた以外の誰かがその子供の面倒を見なければ、
その子供は死んでしまうでしょう。
確かに、
一見、その子供はあなたや誰かに、従っているように思えるかも知れません。
しかしそれは、
あなたに従っているわけではなく、自分以外の何者かに全てを依存しているだけで、
自分の意思を示しているわけではないでしょう。
何の意思もない、素裸な自分をさらしているのでしょう。
胎内の記憶はおそらくその子供には意識する事ができません。
産まれ出でて初めて胎内以外の世界に触れて、
その時から、胎内記憶と実体験記憶との反芻が始まるのでしょう。

仮にその赤ちゃんに充分な栄養を与えたとしても、
放りっぱなしにして、誰も声をかけたり抱きしめたりしなかったとすると、
その赤ちゃんはいずれ死んでしまいます。
人間は恐るべき事に、
そういう実験をした事があります。

そういった、真に無垢なものとして、人間の赤ちゃんは存在しています。
「誰かに育てられる」ということを前提としなければ、人間は存在し得ないのです。

======== see you next =========

あとがき
しばらくのあいだ、こういった問題について考えて行きます。
しばらくのあいだ、私はふざけません。
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3月25日。更なるあとがき
早くもこのページに加筆・訂正を加えてしまいました。
私はこのように自分に規制をしながら記事を書くのが初めてなので、
色々不都合が生じると思っています。
次回のページは、前回の記事に訂正等を加えたことを明記しますが、
こんな読みにくい記事もないだろうと思いますので、
最後にまとめて改めて書き直したページにするかも知れません。
いまのところ、このままの形で、やってみます。
ご了承下さい。
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すいません。また、訂正しました。
このページに入りきらなくなるまで、訂正を加えます。
自分の能力の足らなさを、深く反省しています。
このように、書き換えることが出来るブログというツールを悪用しているとも言えます。
どうなんだろう、自身が、不安です。記事を削除したこともあるし。