ネグレクト/ドメスティック・ヴァイオレンス(その2)

ロシアの研究家が「人間に生まれつき慣れているキツネ」のグループの特化に成功したそうです。
http://siberiandream.net/topic/pet.html
訓練によらず、生まれつき人に慣れる性格を持つキツネ。
性的成熟を迎えるのが、遅いのだそうです。言い換えれば、子供の時期が長い。
そうすると、周囲の生き物を敵として捉えて攻撃しようという気持ちより、
何だろう、遊んでみたいという好奇心が勝ってしまい、
人間にも慣れてしまうらしいのです。

人間は、子供の時期が恐ろしく長いといえるでしょう。
少なくとも15年から18年くらいは、
社会の中で、子供として生きることを許されています。
さて、それは何を意味しているのでしょう。

脳の研究により、他の生き物よりも人間が著しく発達させている部分は
前頭前野」と呼ばれる部分であることが明らかになっています。
創造力、学習など、記憶をうまく反芻したり、結びつけたりしながら、
新しい何かを予見したり、反省したり、
言語の発達や感情などにも、大きく関わっている部分です。
私は長い子供の時期に、
この前頭前野を充分に発達させ、自由にこの部分を使って人間として充分に生きられるように
社会が猶予を与えているのではないかと考えています。
教育とは、この部分の発達を助けたり、促したり、
そういう目的であるべきではないかと思います。

その中で、「しつけ」とは、
「自分の生命を危険にさらしたり、他人の生命を危険にさらしたりする行為」を防ぐ為の教育であり、
その部分においてのみ、本当に怪我をさせたりしない程度の暴力、精神的圧力が認められると考えます。
その淵から落っこちたら死んでしまうなら、
その子が泣こうが喚こうが止めなければならないからです。
「しつけ」の拡大解釈が、不幸な結果を招いていることが予想できますが、
子供を育てる社会は、充分に良心に従って、「しつけ」を子供に与えなければなりません。
私はここで、ちょっと恐るべき、客観的根拠に欠ける信念を持ち出します。
「ならぬものは、ならぬ」
これです。

これは二つの意味を持っています。
「してはいけないことは、してはいけない」
「しなければならないことは、しなければならない」

これには、「何でそうなのか」と聞かれた場合、
答えるすべが、私にはありません。

なので、全ての人が良心に従って考え、反省しながら、
慎重に教育を進めて欲しいと願うだけです。自分のことも含めて。

そして充分に人間らしい能力を携えて、
社会の中で競争して欲しいと考えます。

人の何を育てるのか。

それは、心であると、私はそう考えています。

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