真剣師 小池重明

真剣師 小池重明
将棋関連の本を読むのは、「将棋の子」「聖の青春」あと、先崎先生のエッセイ以来4冊目となるが、
まず、
日本将棋界(プロ・アマを問わず)という、日本国内の天才を発見し、育て、守り、発展させるシステムを
構築して来た先人達に、感謝申し上げたい。
脳の使用法、活用法、表現法について、これほど素晴らしく厳しい世界を俺は知らないし、
例えば武術、囲碁などにも、同様に天才を守るシステムがあろうと思うが、
将棋界はそれと同等、或いは以上であると、俺は信じている。

団鬼六。人間の深淵を見つめ得たであろう人による、
小池重明という、
将棋を打つことのみに真実を見つめ、人間であることを拒否した人物の記述。

その儚い一生の記録は、
絶頂とどん底の幅があまりに大きい為に、
俺ごときにはいかなる判断も許されない。でかすぎるのだ。

団氏による非常に乾いた視点による記述が、俺の脳内を激しく揺らす。

俺は大きな問題をこの本で提起され、
また考えることが一つ多くなった。

神様と、狂人が俺の前に現れたとして、
どちらがどちらなのか俺に判るだろうか。

俺が狂人になるときは、俺が自分の脳を拒絶するか、脳が俺を拒絶するかいずれかであろうという
予想をしているが、
おそらく俺は、自分が狂人になることをかすかに意識できるような気がするのだ。

俺以外の誰かが、そういった狂人になった俺みたいな状態になって現れたとき(わかりにくいな)、
俺はそれを見て、
「こんにちは、神様。」と、言う気がするのだ。

小池氏に、「おつかれさま、神様。」と、言いたい気がするのだ。

===========おしまい===========