俺の意識に期待してやる。

ちょっと前まで、価値観を育てる為に本を読んでいたのだけど、
今はちょっと違う。
無意識領域に、干渉してやろうと決心した。
俺という意識は常に無意識領域から干渉を受けているので、
その歯車から離脱するのは難しい。
俺自体のフォーカスだと思っているものは、実は殆ど俺のものではない。
俺の無意識からの強制なのだ。

で、最近図書館に通いつめているんだけど、
目に付いた(フォーカスした)本を読んで、そこから関連する本を読むようにしている。
目に付ける(フォーカスの)最初の動機は、無意識からの俺への干渉を外せないので、
読んだ本の中から関連付ければ、少ない範囲だけれども干渉の範囲を狭めることが出来るかも知れない。

で、ざーーーーーっと流すように詰め込めば、
体系的な記憶ではなくて、(全部記憶することが無理なので)
ちょっとずつ残る記憶の本体に、俺の意識の方から干渉出来るのではないかと考えたのだ。

何故図書館に頼っているのかというと、
図書館に残る本は、ある意味で誰かの残そうという意識が働いていて、
誰からも無価値と判断された本は残りにくい。

そういったモノは誰かの価値基準に汚されているとは言えるが、
それは現在の日本の書店に置かれている本の選別基準よりは少なくとも上品であろうという期待があるので、
まぁ、そっちから俺は選別している。

俺は、ある結論に至っているからそうしているとも言える。

過去は、無い。あるのは、記憶。
歴史というのは、誰かが書いた記憶の記述。
誰かが必死に考えた記憶のパターンから、未来を読み取りたい。
タイムマシーンは、過去へは行けない。

現在=俺の意識で、それは未来を先読みしようと常に働いている。
無意識からの強制から一歩自由になる為には、
とりあえず未来を想像し、記憶からの行動束縛からフリーになる必要があるのだ。
先読みしないと、現実の肉体内の脳が産みだす錯覚から逃れられない。

現在と、未来は実は一体のもので、
一般的に偶然と意識されるものこそ実は必然であって、
未来の全部とは言えないけれど、ある程度の未来は、決定されている。

事故は、必然的に起こる。天災でさえ。

なんとか、無意識を揺らしたい。
俺の意識からの無意識への干渉を、試したい。

俺にはギターがあるので、
少しは無意識への干渉が、実現出来ているのではないかという微かな期待もあるのだが、
確信には至っていない。

しかも、そういった現実を、俺の意識は認識できるのかという問題があるが、
そこは、さておいて、行動しよう。

========おしまい=========