図書館に通った成果
本格的な図書館通いを続けてきたが、ある成果が生まれつつある。
偶然に出会った本による、何か次の出会いへの結びつけである。
ほんとに、お前はそんなことばかり言いたがると言われると返す言葉はないのだが。
この本に出会ったのは、ほぼ偶然というか、新着書架にあったものを手に取ったからである。
著者の名前も、ベルクソンという偉人も、僕は知らなかった。
読んでなるほどと思ったことは多数あるが、まぁ、それは後述することになるかもしれない。
「持続において思考するべし」という、まぁ、読んでみてください。
で、問題としたいのはその後である。
その新着書架の隣に、僕が愛すべき落語のCDのラックがある。そこは、もう興味がないラックである。
殆ど興味があるものは借りちゃって、無いものをネット検索して予約しながら借りているラックだからだ。
そこにね、三島由紀夫の講演CDがあった。
ポツンと置いてあったこれを借りたが、その隣にあった講演のCDは、
小林秀雄先生の、講演CDであった。上記全部が図書館に揃ってはいませんが。
こんなCDがあったのかと驚いたが、続けてネット予約しながら小林先生の講演を聴いていて、更に驚くことになった。
ちなみに、三島先生の本は、「金閣寺」しか読んでいない。
小林先生の本は、未体験。
小林先生の講演は、
ベルクソン哲学の講演と言っても過言ではないくらいの講演でありました。
勿論、誰か特定の哲学者を語った講演ではありません。
本居宣長とか、プラトンとか、ソクラテスとか、まぁ、そういった個人名は関係ありません。
小林先生の体験に結びついて語られた、素晴らしい講演であります。
ほらね、これを待っていたんだ。偶然に結びつけられる何かの出会いを。
こうして、僕は一つの結論を得るに至っている。
ほら、こっちだよという、何かからの誘惑。
三島先生も、小林先生も、驚くべき言葉の力を持っている。あたりまえですが。
ユーモアたっぷりでもある。
天才に絶対に必要な要素だと、僕は考えている。嫌われては、天才とは言えない。
こうして体験しながら、ある結論に至っている。
その方向は、間違っていない。
特に、ベルクソンは、外せない、何かであろう。
でも、今、ロバート・B・パーカーの足立区には無かった小説を、それも偶然に発見してしまい、
僕はめちゃくちゃに時間が足りない。
借り切っていたと思っていたのだ。ハード・カヴァーが、いっぱいあったのだ。
その海への航海に出るしかないんだ、僕の欲望が、そうせよと言っている。
========おしまい==========