アトリエ。。。その3

君は僕の前を走らない。見せたくない姿なのだそうだ。
それはそうだろう、あまりにセクシー過ぎる。
5分ほど自転車を走らせると、そのイタリアン・レストランに辿り着く。

食べられない季節を除いて、必ず牡蠣を食べる。
レモンを絞ることもあるが、酢橘のこともある。タバスコを僕は数滴使う。他に何も加えない。
僕はシャブリと牡蠣は切り離せないと思うのだが、君はシャンパンだと譲らない。
それは構わないが、君が飲むのはグラスに数杯で、残りはどの道僕が飲むことになる。

獲れたての魚の刺身を、ごく僅かの塩コショウと、バージン・オイルとビネガーで短時間マリネしてある。
裏の畑で採れたリーフ。スライスド・オニオンは水に晒さずに辛味を抜いてある。
それらを別々にマリネして、魚とは別に添えられている。
フレッシュという事実を通り越して、フレッシュというイメージを味わうことになる。
それぞれを別々に食べた後に、刺身数枚と、他の全てを自分で合わせる。
一皿で、二度美味しい。グリコのおまけだ。クラッシュしたナッツをかけることもある。

マルゲリータを二人で一枚だけ食べる。
ふんだんなモッツァレラと、イタリアの直輸入トマトを使ったソース。裏の畑のリーフ。裏の畑のガーリック。
石釜でほぼ一瞬と思える時間で、焼きあがる。
もう、赤ワインが飲みたいが、しかたない。それでは虎になるしかない。
もう少し、お互いの胃に余裕があれば、
魚介のアヒージョと、バケットを貰う。これは胃に余裕が無くても必ず入るはずだが、
マルゲリータと並列できない。どちらかを選択せねばならない。

君が頼んだ不思議なチーズのデザートを、一口だけもらう。
店主は、その謎を決して明かさない。不思議なチーズだ。
二人とも、このタイミングでは珈琲を頼まない。僕は最後のシャブリを飲み干そうとしている。

勘定書きを見たことが、無い。あ、勘定をしたことが無いんだった。
何故ならば、店主である彼は、僕達のアトリエの設計者でもあり、
主たる演奏メンバーでもある。ホルンの名手なのだ。
彼は、ホルンを吹くべき風景を求めてこの地にやって来た。
本当は、海に向かって吹きたいのだが、この場ではやらない。しかし、風景が大事なのだ。
他にやる事がないので、レストランを開いたに過ぎない。

次にアトリエに招待する人達の為に、イベリコ豚のハムと、リーフを譲ってもらう。
これは、サンドウィッチにして、アトリエのオープン・キッチンで食べる為である。
そのキッチンで、サンドウィッチ以外の料理がなされることは、殆ど、無い。
頻繁に行われているのは、ジャム造りだ。

帰り道は、いつも自転車を押しながら、歩く。
酔って歩くと、30分程度。ゆっくり会話を楽しむならば、50分くらいか。
海からの音は、必ず僕達の脳を共鳴させる。
この土地に来て、星たちの音が聴こえるようにさえ、なった。

暗闇に潜む生命達の視線を感じるが、それは嫌な何かでは、無い。
夏の間、そこを歩いていて困るのは、
僕達に衝突する昆虫の多さだ。
小さな甲虫でも、衝突すると、かなり驚く。

エントランスのシャッターが上がり、僕達は歩調を変えずにその道を辿るのだが、
僕達の歩調に僅かに先行しながら、フットライトが連続して点灯していく。

そのように、僕達を迎え入れるのだ、このアトリエは。点灯のタイミングは、実は僕が相当研究したのだけど。

屋内の照明も、僕達に呼応するように点灯されていく。

君は、まっすぐにピアノに向かう。調弦は、僕が毎日少しずつ施している。
ZOOMが作動している。記録が必要ではない場合においても。

僕は、ドラムセットの椅子に座ってはいるが、何かをするつもりは、無い。
しかし、座ると、ヤマハは通電している。

僕は今日は少し飲みすぎている。
君は、必ず弾くだろう。今の感情を。

君の黒髪は、やはりショートが似合っている。小さな金のピアスも。
笑うとわずかに生まれる目じりの陰影も。
それは君の魅力にいかなるダメージも与えない。

以上。本文終わり。

ちょっと前に、無法地帯を考えてしまった為に、思考する俺的脳の方向がやや邪悪になりつつあったので、
修正を加えるために、細部にこだわりながら理想郷を描くことにした。

これは以前に読んだ本の中の、イメージ・トレーニングの実践でもあった。
僕はトレーニングは必要ないのだけれど。
描く夢は、今現在の自分の努力の結果とか、そういったこととは全く無関係に描く必要があるのだそうだ。
突拍子もなければないほど、良い。
しかし、その夢から現実体験と言っていいほどの幸福感が得られなければならない。
そういったテーマを持つ夢でなければならない。
夢から、体感を、得るのだ。

そうすると、その体感からくる影響が現実行動を変化させ、、
やがて夢の実現へとストレスなく導いてくれるそうなのだ。

馬鹿言っちゃいけない。そんなことあるわけないだろう。

ところがだ、夢を描くことは、大切だ。
現実世界における実現とは無関係なのだ、精神にとっては。精神を、充足させねばなるまい。
僕、或いは僕達は、精神の貧困化に直面している。
そうでなければ、激増したままの自殺量を説明できまい。
夢を実現する、そうじゃない。
描けばいいのだ、夢を。自分勝手に。実現じゃない。描くのだ。

幸福なんて、具体的なものはありはしない。
しかし、幸福を体感することはできる。精神においては。

現実は、現実でしかないだろう。それは、実行せざるを、得ない。成り行きにまかせて。
その実行を拒否する奴は、それは切り捨てざるを得ない。僕にとっては。

乞食が夢を描いてはいけないのだろうか。
そうじゃないと思うな、僕は。
乞食として生きている人を見ながらに、
ちっぽけな現実を生きようとせずに自殺する現代人の傲慢さは、僕は許せないな。

どこかで、間違っちゃったのだ、進む道を。

でかい夢を描こう。どんなにでかくても、いいのだ。

=====アトリエ、完結======