少しだけ
12月30日(オオタキエイイチ氏の命日)までに書きたい事があって、間に合うかどうかわからないけど下書きしてみる。
書かないと、うまく自分が整理できないので。
少しだけ、わかってきたことがある。
自分が、いかに無知なのかということなのです。
僕は本が好きなので、手当たり次第に読んでいる。ありがたいことに、ネット環境によって、
更に自分の望む深みに辿り着ける事も、あります。深みは、更に深いのだけど。
結局、自分がいかに無知であるかを確認するだけ。
僕は、嫌いなタイプの人間がいるのだけれど、
それは何故なのかを考えてみるに、
自分自身の投影でしかないと考えています。
自分の中の嫌な部分を相手の中に見出してしまい、
それは性に関係なく、相手の中にある自分自身の嫌な部分のせいで、相手を嫌いになってしまうのだと。
あなたを嫌いなのではなく、自分が嫌いなのであって、
自分の中に解決するべき何かを探せる可能性が、微かにある気がします。
好きになるのは、衝動で、そっちは放っておこう。
未来へつながる道のような気がする。
嫌いは、分析できる気がしてる。
こういった気持ちになったのは、
オオタキさんの
「その音楽に価値を見出せないのは、自分の耳(音楽から価値を聴き出す能力)が悪いからだ。」
という言葉からです。
まとまりがつかないんだけど、
まぁ、しかたないか。