座右の銘

海音寺潮五郎 「幕末動乱の男たち」 下 山岡鉄舟より
以下抜粋

十五の時、座右の銘二十則をつくった。

一  うそを言うな。
二  君の御恩を忘れるな。
三  父母の御恩を忘れるな。
四  師の御恩を忘れるな。
五  人の恩を忘れるな。
六  神仏と年長者を粗末にしてはならない。
七  幼者をあなどるな。
八  自分の欲しないことを人にもとめるな。
九  腹を立てるのは道に合ったことではない。
十  何事につけても人の不幸をよろこんではならない。
十一 力のおよぶかぎりは善くなるように努力せよ。
十二 他人のことをかまわないで、自分に都合のよいことばかりしてはならない。
十三 食事の度に農夫の辛苦を思え。すべて草木土石でも粗末にしてはならない。
十四 お洒落をしたり、うわべをつくろうのは、わが心に濁りがあるためと思え。
十五 礼儀を乱してはならない。
十六 いつ誰にたいしても、客人に接する心掛けであれ。
十七 自分の知らないことは、誰でも師と思って教われ。
十八 学問や技芸(武術等のこと)は名利のためではない。おのれの心をみがくものであると心得よ。
十九 人にはすべて得手と不得手がある。不得手を見て一概に人を捨て、笑ってはならない。
二十 おのれの善行を誇り顔に人に知らせるな。わが行いは名利のためにするのではなく、すべてわが心に恥じぬために努力するものと心得よ。
以上抜粋。

これは山岡先生が、他人のためではなく、自分のために自分で考え自分に律した誓いである。
しかも、一生をこの誓いで貫いちゃったらしい。

二十の誓いは、とてもわかりやすい言葉で綴られたものだし、
ひとつひとつ噛み締めるに値するのではないかと、私は思う。

人間に限らず、
自分以外の何かに、
自分の気持ちを伝えるのはとても難しいことであるけれど、
自分自身に問いかけた言葉であれば、
誰かがそれを見てその中の僅かな断片であるとしても、
共感するものはあるのではないか。

何事も私に強制することはできない。
私から何かを迎えに入ったときのみ、
何事からかそのほんの僅かな断片を捕まえることができる。

誤解は多いだろうが、
何も捕まえないより、ずっとましではないかと、
私は思うのです。