60兆個

なんで音楽がこんなに好きなんだろうと、中学生の頃真剣に考え始めた。
その頃は、音楽こそ人生の全てだと思えていた。
東京フィルの演奏会を度々聴きに行っていた。
東京都民コンサートの応募抽選で当たると、無料だったからだ。
席は先着順なので、早く出掛ければど真ん中で聴けた。
ホールに行き渡る振動。その振動は、後ろから、いや上から下から横から戻ってくる。脳は激しく揺らぐ。
重なり合うメロディー。空から降り注ぐホーン。いかずちのティンパニー。

音楽とは何かと真剣に考えた。
リズム。メロディー。ハーモニー。
そのように分解していた。

リズムとは、鼓動なのだとやがて解った。
自分の鼓動であり、胎内で聴いていたはずのリズムだ。
中学2年の頃に、おぼろげに見えてきた世界。
胎内で脳が育つ間中聴いていたのは母の鼓動と、鼓動による振動の体感だろうと。
目はあるが、見えていないし。
若さの勢いというのは素晴らしいもので、
新しい世界が見えた瞬間に、それが全てだと信じきることが出来たのだ。

今に至るまで、その世界から抜け出さずに周囲を見回すという見方を変えていない。
ハーモニーという美しさは疑いようがなく、
メロディーは突然生まれるようで、しかしハーモニーの中にあり、
メロディーが抜け駆けをしようとしても、ハーモニーはどこまでもメロディーを包む。

宇宙の中に生まれた以上、自分の中に宇宙があることは当たり前だと思っていた。
宇宙にある出来事は自分の中にも起こり、逆に自分の中にある出来事も宇宙に起こるはずだと。

今、解っている60兆個の細胞からなる自分を更に細分化すれば、
原子とか陽子とか電子とかなんとか子とかどこまでも見えないところまで細分化出来るし、
自分を考えることは宇宙を考えることと何も変わりが無い。
自分だけでも少なくとも60×3=180兆個以上の世界なのだ。

スケールはとてつもなくでかいという体感はあるのだけれども、
俺だけは、小さく一個あるように思える。

たった一個。

俺以外、全部別の宇宙か?あなた、宇宙なのか?

宇宙と宇宙がぶつかっているのか?

俺の最初の音楽の分解から抜けているものがある。今は解る。詩だ。

詩からリズムもメロディーもハーモニーも生まれる。

そうか、詩が、抜けちゃってるのは、どうやら間違いなさそうだなぁ。