思考する心臓

アメリカの大学で、心臓に、脳と同じ神経細胞群が存在すると確認されたらしい。
と言うと、またお前はそんなことばかり言ってるとなっちゃうんだけど、
どうもそういう話があるってことは事実であります。
心臓移植をすると性格の変化が起こることがあり、それは肝臓などの臓器移植では起こらないそうだ。

俺はこの話に出会って、「ほら、やっぱりね。」って、思ったんだ。
俺の中に少なくとも二人以上の俺がいると体感していることの、かなり重要な説明を与えてくれるのだ。

心臓ほど偉い奴はいない。受精卵が分裂を始めたかなり初期の段階からパルスを出し始め、
他の皆の細胞のためにせっせと働いているのだ。
体全部の血管を一本にすると、10万キロなんだってね。地球2周半なんだって。
体のあちこちからさ、「もっとこっちに血を送ってくれ。」って騒がれてさ、
「おいおい、一生懸命やってんだぜ。」って独り言うかどうかはわからないけど、
皆のために動き続けているわけだ。

逆に脳ってやつは自分勝手ばかり言ってるやつで、またこれがどえらく血流を必要としてやがるんだね。
脳が一番騒いでるんだよ、こっちにもっとよこせって。
しかも脳って一番テッペンに位置してるんで、重力に逆らって送んなきゃなんないんだから、
そりゃ大変なことだ。

たまにさ、あんまりあっちこっちが騒ぐもんだからちょっとパルスのほうが処理しきれなくなって、
もう震えるみたいに速く動いちゃってさ、自分自身に送る血流が足んなくなっちゃって自爆しちゃうことがある。自分の分くらいとっとけばよさそうなもんだが、全部あげちゃうんだね。

こうやって、体の中で、
利己的な脳思考と、利他的な心臓思考が共存するわけだ。
但し、脳の命令の中で心臓が絶対に受け入れないものがある。
「おまえ、止まれ。」これだけは、聞かない。

思考のメロディー。鼓動のリズム。共存する体というハーモニー。
ほら、やっぱり揃ってる。

これもね、お前はそんなことばかりってことになるんだけど、
俺以外にも言ってる人がいたんだ。
ヒルデガルト・フォン・ビンゲンという女性だけど、
これがまたどえらい人だったらしい。宗教的にというか、人間そのものの在り方として天才的。
その人がね、「音楽は大切だぞよ。」とドイツ語でどういったか知らないけど、
宗教音楽もいっぱいつくったのね。
これね、ちょっと聴いたんだけど、不思議なんだ。
独唱なんだけどさ、わーっとコーラスに聴こえるんだ、俺には。ちょっとびっくりだ。
まぁ、聴こえ方はひとそれぞれだろうけどね。

ああ、脱線がひどいなこりゃ。
脳は言語思考が強いでしょ、おそらく。
心臓はさ、体感さ。非言語思考。ちょっと素敵じゃないかなぁ。
ハートなんだよ、人間はってさ、
やっぱりそうだったんだって、ちょっと嬉しくならないかなぁと、無理にまとめた。