記憶 その1

しばらく思考の整理をこの場を借りて実行するので、メンドクサイなぁと感じたらどうか素通りして下さい。
書かないと何も整理できないことが、自分の中ではっきりしてきたので。
以下本文

脳は主に信号を返す器官だと思う。

大きく言ってその信号は2つに分かれている。
その1つは、DNAによって有無を言わさず決定されている信号。
例えばホルモンの分泌とか、呼吸とか、消化とか、
個体内部の各器官からの内部的な情報を反射的且つ機械的に処理し、生命を維持する為に各器官を運動させる為の信号だ。
又、生命の危機を回避する為の反射運動もDNA側に含まれる。そうしないと間に合わないからだ。

もう1つは、感覚器官から受けた情報に、意味を読み出す信号だ。
そしてその信号は、意識という名の運動に返される。
この「意識」は、無意識と有意識の両方に跨る意味に使う。

個体外部の情報は、まず何の意味も持たずに脳内にミラーリングされる。
どの情報も個体がDNA的に感知・識別可能な種類の振動であり、
そのままでは何の意味も持たないただの振動で、しかも非常に混濁し流動している。

そこで第一段階的に5感というフィルターが架けられた。
色、匂い、音といった振動に整理される。5或いは6という分け方は、もっと細分化されても良いのかも知れない。
とりあえず、「混濁を分けて整理した」ということだ。
しかし、流動は決して止まることは無い。止まればある意味、意識側からみた「死=停止」という状態となる。

そしてその整理された振動もまた、何の意味も持たない。

ここまでをDNA側に決定された信号と考えてもいいのだが、
生命活動の中に何かと何かを分ける線が引かれているのではなく、脳も同じ活動の中にあり、
思考整理という目的に従って無理やり線を引いた。

発生の時代に戻るのはとても難しいので、生後間もない赤ちゃんの時代を振り返ってみたい。
その時、自分が何をしているのかわかっていた人がいたならば、とんでもない異才の持ち主であろう。
光も匂いも抱擁も全部感じるが、それが何なのかわからない。
自分と周りの区別がない。
なにか音が聴こえるが自分から出ているのか誰かが出しているのかわからない。
寝ているのも起きているのも区別がない。
口に入れられたものを反射的に飲み込み、胃がいっぱいになれば吐き出す。
勝手に消化され、代謝する。
しかし、本人は一切の意味を感じない。

意味を持つには、自発的な「意味の学習」という運動が必要なのだ。
当初は、反復経験によってそれはもたらされる。
要するに、「慣れ」。意味の始まり。
同時に、「記憶」という運動の始まりでもある。

やっと記憶に辿り着いた。

======次回に続くと思う=======