終わりと始まり

終わりと始まりってことを、ずっと考えてみているんだけど、
ちょっと大きいほうから考えて、宇宙の終わりと始まりね。わかんないんだね。
その終わりと始まりを思考から除けば、例えば量子物理学とか、そういったものが出来る。
量子コンピュータが実用化されたという話を聞いたけど、
そうなると今まで使っていた暗号が全て無意味になるんじゃなかったかな。特定の素数素数を掛け合わせた結果は存在するのだけど、その結果から原因の素数を特定できなかったのが、量子コンピュータでは可能になると。並列演算という概念が覆されるのだと。
ビッグバンとか、まぁなんでも良いのだけれど、それはこじつけじゃないかね。

これは僕個人のオカルト的考えだけど、妙な事件が起きますね。飛行機失踪とか、異常震撼地震とかね。
新しいテクノロジーを握ると、戦争を考える奴は必ず出てくるもんだから。

生死を考えてみても、終わりと始まりは、わかんないね。
途中、つまり僕の存在は、ある程度はわかる。
しかし、存在する僕を保証するのは今これを考えている僕しかない。
あぶないね、そりゃ。誰かが僕をみているはずだけど、どうかな。あぶないな。
それは、僕は何かよくわからない思考の隙間に落っこちゃうことがしばしばあるから。
そこはね、時間とか、空間とか、普段感じてるものが、無い。
ギター弾いてるときだけだな。現実と僕がほぼ一致しているのは。

僕が今見ている世界を説明しようとするならば、
完全に真逆の世界を想像する。

在ることを反対にした、無い。
又は、無いを反対にした、在る。

僕が今みている世界にはどこにも区切りがないので、
そうなってくると、真逆がないと存在の説明が自分内に出来ない。釣り合いがとれない。

でも、区切りのない存在を考えているだけでも、充分に楽しい。
あなたも、わたしも、周囲も、区切りがない。

但し、それを実感することは、限られている、今のところ。