島国根性

ってことを書こうと思っていたら、捕まったらしいな。キンコンて、TV速報で流れてる。
捕まった奴がほんとの犯人であることを願うけど、
そんなもん願ったからってなぁ。あ、また今キンコンて、そうだな、男の子のほうもな、やっぱしなぁ。

どうしますか。
俺達は、気違いと共存していくのか、それを排除するのか、
そういった厳しい判断を求められてる気がしませんか?。
奴らを野放しにしていて、いいのかな。

奴らというのは、
俺達が育て上げてしまった人達であることは、ほぼ間違いない。

無関心で、見捨てて、更にリアルに起きている出来事からも目を背けようとする、俺が育てている。
どんなに厳しい世界がリアルに目の前を流れていても、無関心になることは、実は非常に簡単なのだ。

親が、がみがみと小言を並べるのを、「うんうん」と生返事しながら、全部思考の外に追いやった経験が、
ありませんか?
今は、携帯見ながら、テレビつけっ放しで、メシ食いながら、漫画読みながら、
何か入りますか?又は入れられると思いますか?
絶対に、無理。結論できる。

俺は、自分の神さんが子供にがみがみ小言を言ってる時だけは、神さんに注意した。
それは全部聞き流されるよって。それでも構わないなら、言いたいだけ言うがいいと。
きちんと相手の眼を見つめて、ゆっくり話せと。

誰かに何か意見されたって、聞く気がなければ何も残らない。実に簡単。
俺自身、殆ど切り捨てて、もう今の俺は、自己中の権化なのだ。

自分から何か求めようという気持ちになっている時、
その瞬間にしか、誰かの意見は入らない。
これも、経験上結論する。
だからこそ、自己中の俺は、いつも求めようと努力している。そうじゃないと、俺自身が許さないからだ。
それは、ある意味自己中であり続ける為の、罪滅ぼしみたいな感じなのだ。

俺の努力は努力ではないから、当たり前だから、
もう、仕方ないのだ。

ちょっと、孤独感は、ぬぐえない。

題名と、全く関係ない結論。