人間関係

そりゃね、めんどくさい。そうに決まってる。
基本となる親子関係からして、めんどくさいんだから。
親子って、絶対に離れられないんだ。過去、現在、未来、離れられない。
もう、絶対離れられない親子からして、それを人間関係と考えれば、めんどくさい。
勿論、産まれたそのすぐの頃は、普通は思い出せない。
もうちょっと後の、いわゆる、ものごころがついた頃から、始まってる。

だけどさ、その頃を想像すると、、
ちょびっとずつ、手を伸ばしては引っ込め、手探りで、
ほら、でんでん虫のさ、目にちょっと触ると引っ込むでしょ?
あんな感じで、ちょっとずつ、おっぱいから離れてさ、
やっと見えてきた目も、鼻も、じわっと、だんだんさ、周りのことに気付くのは。

耳はさ、産まれる前から、聴こえていたはずだと、俺は思うんだ。

ただ、外に出てからは、急に音量が増えて、かなり驚いただろう。

周りがだんだん解ってきてさ、あ、俺の手は、俺が動かしてるんだってことが、解る。
それも、とても時間をかけて。全部、手探りの中だ。

俺はさ、たぶんその頃、お母さんしか信じられなかったはずだと、思うんだ。
全面依存状態。自分が意識出来ない状態だ。

その後、お父さんとか、先に生まれていた兄弟姉妹とか、
あ、いっぱい俺以外の人がいるんだなとか、解るというか、
つまり自分が解ってから以降、周りがだんだん出来てくるってことだ。

ね、だいたいがさ、自分も解らなかった時代の自分と、
解ってからの自分との関係さえ、ある意味人間関係だ。

全部がめんどくさいんだ。

それほどめんどくさいのに、
大人になってからさ、大人同士の人間関係がめんどくさいなんて、
当たり前だろう。

じゃ、俺たちは今、どうやって世界を見ているんだろう。
始まりは、簡単だったはずだろう。
こんがらがった世界は、本当は、それを、1歩1歩解くように見なければ、
わかんない。

でもさ、それ、やってらんないしね。

あちこちを、こんがらがらせているもののひとつが、言葉だ。

ほぼ、それが原因で、関係がこんがらがっているものを、そのままに受け取れられなくなる。

言葉なんてさ、殆ど、不完全と言っていいものだけど、
じゃ、使わずに、原始時代に、戻ろうか?

それでもいいけどね、本当は。

とりあえず、めんどくさいものだと受け入れるか、
めんどくささに抵抗すんのかということになるかと思うけど、

俺はね、現在は受け入れたほうが、気が楽だ。

いかなる関係も、めんどくさいんだ。