トラウマという、言葉
トラウマは、というか、多動性情緒障害、アスペルガー症候群、古くは精神分裂病。うつ病。
僕は、あまり詳しくはないけど、
人間活動全体から、それらのひとつを切り離す事ができるならば、
それらそれぞれの現象を、認めよう。
どんどん細分化されていくことも、仕方ないだろう。
それ、薬で、治す?
ほんとかね。
僕はアレルギーがあることは確かなので、
処方されている薬を、様々に勝手に使いわけて、症状を抑えながら、生きている。
たぶん、全部の薬が無かったならば、それは苦しくて困っているだろう。
もしかしたら、突然死も、有り得る。
自分の中の原因をつきとめようと、
原因を細分化して、そばだ、たこだ、花粉だ、埃だ、はちみつだ、
じゃ、食べちゃ駄目だ、触っちゃ駄目だ、吸っちゃだめだ。
僕は、吸っちゃ駄目の中に、おそらく原因がある。
じゃね、どうする?
究極的に、完全隔離された中で、浄化された空気の中で、生きていくしかないのか?
そんなこと、出来ると思うほうが、間違ってる。
身体的な、アレルギーという様々な要因がある症状でさえ、この有様だ。
で、最初に戻るけど、
精神活動なんてさ、どこで、どう切り分けるんだ?
トラウマの定義が何かなんて、よくわからないけど、
生命の危機が訪れた時に刻み込まれる決定的な記憶ということにして考えると、
それってさ、必要じゃないかな。
それ、覚えていないと、次に同じような危機が訪れたとき、
パニック起こして、困るんじゃないかな。
一回味わった危機をどう回避するのかという、大切な記憶だと、僕は思う。
あたふたしないように刻み込まれるとすれば、それって、有り難いと僕には思える。
記憶が出来る以前に原因があるのだというトラウマは、僕は信じない。
全部が、記憶以降、判断がついてから以降の個人的歴史だとしか、僕には思えない。
じゃさ、楽しいとか、嬉しいとか、気持ちいいとか、そっちも同じじゃないのかな。
素敵だとか、綺麗だなぁとか、美しいとか、なんでもいいんだけど。面白いなとか。可笑しいとか。
そっちもせっせと集めて作るほうが、楽なんじゃないか?
精神病に与える薬って、アレルギーみたいに、細分化して出来ているのかな。
与えられた人ってさ、ほんとに自分に効いているのか、解るのか?
非常に疑問だ。
人間て、どうしても自分の判断基準で、何かを集めちゃうんだ。
そうならば、好きなもんばっかり集めたほうがいいでしょう。
勿論、生きていく為の行動には、嫌なものも含まれるでしょう。しかしね、
それは、当たり前のことだ。
何故なら、世界は全部があなたの思うようには出来ていないから。
これも、当たり前でしょう。あなたひとりで世界は成り立たないのだから。
僕はどうしてもその関係が苦しいと思えば、
生きる為に行動する世界と、
自分の好きな世界を切り分けちゃう。
自分ひとりなら、別に、極端だけど、乞食でも構わない。
ただ、今は家族のために、いろいろ働いてるわけだ。大切だから。
乞食やってて、そっちが嫌になれば、また別のことを考える。
その時、もうあなたは元には戻れないと言われれば、それも仕方ない。
全部が自分で撒いた種からうまれた事だから。
ひとつ自分が生まれちゃった以上、責任は自分で取るしかない。
違うのかな。
将来が不安だとか、そんなこと言ったって、無意味なんだ。
将来が不安じゃないという人がいるなら、その人に会ってみたい。
現実のまま、1歩1歩、どうやって歩くのかを考えるよ、僕は。
誰かが、お前は好きにしていいよ、俺が全部面倒をみてやるからと言われれば、
僕は海の底で、貝殻の中で、ギターを弾く。
ギターが無ければ、それは残念だけれども、
頭の中にギターを造って、それを弾くだけさ。
他に、誰も要らない。
孤独を受け入れざるを得ないんだ、今の所。救いなど、無い。