流行っているという、催眠術

なんか、集団催眠術的な大掛かりなマスコミ的行為が、どんどんオープンになっていて、
そうだな、どれが周囲から与えられる催眠術的行為なのかを特定するのは難しいけど、
おそらく俺には通用しない。

何故なら、俺は自分自身に、もうひとつの自分で催眠術をかけているから。
とっくの昔に催眠術的行為に気付いて、俺は色んな催眠術の中から、
まぁ、これは仕方ないとか、あ、これは結構良いものだと思うものを、
選択しながら、自分に催眠術をかけ続けている。
ようするに、自分に掛ける側の自分はオープンにして、様々な催眠術を受け入れ、
大切な自分の本体にかける催眠術を、選択して、混ぜ合わせて掛けているということだ。
解りにくいかな。

自分を二つに分けて、
世間をサーチする自分を(1)
変えたくない自分を、(2)としよう。

(1)をかなりフリーな状態にして、なんでも受け入れ、なんでも吐き出し、
自由に行動させて、そこでふるいにかけて、
本来変わらないはずの(2)に、
「そこは変えてください。」と強制するのだ。

(1)に命令を出しているのは(2)なので、(2)は非常に頑固だ。
つまり、主体は(2)だ。

(1)は、斥候兵。実はその能力は、どんどん強化する必要がある。
つまり、色んなものを見たり、感じたり、分析したり、愛し合ったり、
世間とどんどん関わりを持ってもらえないと、(2)としては困るのだ。
あらゆるもの、全部集めろと、(1)に命令し続ける。へとへとになるまで。

そして、(1)が寄越した情報を、
(2)で最終的なフィルターに通す。フィルターは、依然として(2)の前面に立ちはだかる。

(2)のフィルターは、様々な歴史的蓄積を持っているので、そこを通る情報にはかなりのパワーが必要だ。

そこで、最終的な催眠を、(1)が、(2)に掛ける。
要するに、情報を受け入れるということは、(2)が主体のはずなんだけど、
(1)から受け入れざるを得ない情報がフィルターから洩れてきた時は、(2)は受け入れるという事だ。

この精神的な構造を壊して変な催眠を俺に掛けようとしても、
恐らく無理だろう。生理的や、物理的な、
それは、精神を壊す薬物や、圧倒的な暴力を使わなければ、この構造は壊れない。

(2)が何も受け入れなくなること。全てを拒否すること。それを、俺は老化と呼びたい。
全てを拒否して、自分の世界だけで生きている状態。
これは、現実の年齢が若いとか、老いているとか、そういう問題ではない。

まぁ、そうなったら、俺は死を受け入れる。
周りから見て、そうなっているのならば、殺して欲しい。
これが、俺の最終的な願いなんだけど、実現は恐らく難しい気がする。
個人が抱えている哲学的な問題が、誰かに理解されることは無く、
またその理解の必要などあるはずもなく、
そもそも、他人にはどうでもいいことだから。

そこをどういじくるのかは、
いじくりたい自分で、なんとかいじくるしかないと、俺は思う。