日本語人

日本人は、日本語人。これが、これ以降の文章の前提。

最近、NHK大河ドラマでしきりに明治維新前後をとりあげていることが多いので、
僕がその頃の先人達に対して感じている最も感謝したい事をとりあげる。

それは、複数の外国語人教師を、複数の外国から高給で釣って輸入し、
国内から選抜したエリート養成の為の日本語人に、国内では外国語で直接学ばせ、そしてその語学力をもって留学させて帰国させ、
更にそれらの教育を受けた日本語人に、得た知識、読んだ本を、日本語に翻訳させてくれたことだ。
その翻訳の御蔭で、
徐々に、波及的に、エリート以外の日本語人の中にも、自主的にやってくれた人達もいるのだろう。

基本的に、現在の日本人は、全てがその当時の恩恵を受け続けていると考える。
非常に苦労しただろう、外国語人が当たり前に使っていた、
当時の日本語人には無かった未知概念を翻訳する為の、漢字熟語の生成が基本だ。
全文を漢文訳にしたものも、多いだろう。

産業も、かなり似た歴史があるんじゃないかな。

その御蔭で、現在の僕は、ちょっと苦労すればかなり昔の文章だとしても、先人が残してくれた遺産を、読むことが可能なのだ。日本語が、生き続けているために。
吹き溜まりつずける日本島という、地域特性の御蔭とも言うべきなのかも知れない。

僕には、遡れば恐らく東南アジア又は中近東の血が流れていると思う。顔つきから類推すると。

ほら、よく飢餓状態にある国の子供達の写真が、なんか支援団体のキャンペーン写真に使われているでしょ。

僕の子供の頃の写真ね、そのまんまなんだ。
なんか、大きな黒い瞳でじっとこちらを見つめ、蝿を追い払うことも出来ない状態の、色のやや黒い子供達。
写真の僕には、もちろん蝿がたかってはいないけど。

僕ね、小学校の頃、同級生の女の子達にからかわれた事があるんだ。
「アジアの栄養失調。」って。背丈も小さいし。
だってさ、あまりにそのまんまだと自分でも思っていたので、
ああ、うまいこと言うなぁって、感心した。
でもさ、そう言った女の子から、こっそり手紙渡されたりしてさ、
もう、女の子はよくわかんないまま、今に至るけどさ^^。

僕は、たぶんもうちょっと日焼けすれば、東南アジアに移住すれば、現地人として溶け込めるな^^。

あ、なんでこう脱線が酷いんだ。

今さ、また英語で全部教育したほうがいいとか、言ってる人達いるでしょ。

それやると、日本では駄目なんだよね。
外国語教育を低年齢から本格的にやると、外国語人になるんだよね。
ようするに、思考方法が、日本島に住む人と、違っちゃう。
日本語人との、根本的な思考法の齟齬が生まれる。

それは、日本島では非常に難しい問題が生まれて、
結局その教育を受けた日本人外国語人が出来ちゃうと、ギャップに耐えられなくなっちゃうんだ。エリートなのに。
それは、例えば夏目漱石とかさ、先進的な先人達が精神病的になりそうになったという、先例があるのだ。
これは、オカルトじゃなくて、文献的に皆さんが知っている。

又、全教科英語教育みたいな、そういったものを繰り返すのか^^。
馬鹿馬鹿しい。

よし、無理やり結論してみる。

日本島は、島内だけで、ほぼ完結していた。
しかも、太古の昔から。それは、1000年とか、2000年とかいう単位で。もっと大きいか。
大陸の端っこがちょっと割れたとすれば、そこに吹き溜まるに、決まってる。
この島は、人種の吹き溜まりだ。人種が、ただの地域差であるとしてもだ。
とっくの昔から、あらゆる混血を繰り返しているので、
今現在の日本島内だけで結婚を増やして行っても、
恐らく例えば血が濃くなる事による遺伝的障害があるとすれば、それが起こることは少ない。
むしろ、国内で結婚を繰り返したほうが、益々混血が進むともいえる。
混血が、ある意味の人種の強度を生むならば、強度化が進む。
勿論、親兄弟姉妹ではいけないけどね。

ヨーロッパ白人とか、ヨーロッパからアメリカに行った白人の人達とか、
まぁ、守りたければ守って下さい。どうぞ、ご勝手に。俺たちは、その揉め事には関係ない。
これから、本格的な混血の問題が吹き上がるだろう。
俺たちは、とっくの昔に、受け入れ済みだ。
日本内に、人種的偏見があるなんていうのは、無意味化しちゃってる。だってさ、混血済みなんだし。
アメリカが人種の坩堝だなんていうのは全くの嘘っぱちで、
国土の人種による分割統治が細かく入り組んでいるだけだ。ただ、それだけなのだ。
こうなっちゃったのは、外国語人達の問題なのだ。拡大路線を選んだ結果だ。

本格的な混血による本物の人種の坩堝は、日本島だ。
あなたが、
日本島に住んで、日本語的思考を持ち、出来ればたどたどしくても日本語を話し、
日本島という地域、又は日本語的思考を愛してくれるならば、
現在ヨーロッパ又はアメリカが引いている線など、関係がない。みんな日本語人だ。
愛がなければ、どうぞご勝手に、よそで暮らして欲しい。
愛してくれるならば、どうぞいらしてください。おもてなしするよ。
日本語人の中で、日本島が愛せないならば、よそで暮らして下さい。それだけだ。

明治維新の開国は、別に精神を開国したわけではなく、
日本語人精神を守ったまま、外交表面上開国しただけで、
最後の大戦後も、その精神の御蔭、巨大な日本語のパワーによって、
特別に意識することなく、自然に、日本人のまま、僕は生きている。

おかしいのは、何かいちゃもんつけて来る外国語人達だ。本当は、怖いんだろう?。