告白

決意を固めて、告白する。
恐らく、僕に本格的な近代的精神分析技法を適用し、
専門的な判断が下されるとしたら、あるカテゴリーに分類できるほどの異常が発見されるだろう。

僕の親父は、DV親父だ。DVなんて言い方自体、気に食わないけど、そっちの説明をすると、そっちで長々と語らなければならなくなるので、端折る。

僕に直接的な暴力があったわけではないが、母親は殴られていた。

親父の兄も、親父以上の、DV素質を備えた人間だと、
その叔父の葬儀の席で、そのお子さん兄弟、つまり僕の従兄弟に聞かされた。

それらが、悪い事と決め付ける訳にはいかない。

叔父は、学徒動員経験者である。
親父は、それは免れている。
そういった時期に、日本人が受けていたものは、
理不尽な暴力だと、基本的に僕は理解している。
直接的な暴力と、精神的な暴力の、両方である。

言いたいのは、僕が想像するに、
叔父も親父も、
全ての価値観が、終戦という外部的な圧倒的強制力によって、
ひっくり返された瞬間を生きた人達であるということだ。

母親は、東北地方からの集団就職で、看護婦の養成を受ける為に連れて来られて、
東京都内の、とある精神病院病棟を含む総合病院で研修し、その後、看護婦の免許を取ったらしい。
その精神病棟での経験は、今になっても、僕には全てを語ることができないようである。

そうした背景を考えると、
例えば男性にとっては、
精神内の暴力スイッチを入れろと国家に強制された状態から、
終戦を期日にして、
それは全く間違いで、いけないものだと真逆のスイッチを入れられたということだ。

そんなこと、受け入れ可能か?

僕達が考える、うつ病とか、そんなもん吹き飛んじゃうほどの精神的危機が、
恐らく全ての日本人に訪れていたはずだと、僕は思う。

勿論、僕が子供の頃にここまで考えられたはずもない。
今、振り返って、冷静に考えた結果だ。

だからといって、当時の僕が、そういった状況を受け入れていた訳じゃない。
僕はね、恐らく小学校3年生くらいの時ね、
親父に酷く殴られたあざのある母親が、
あざを眼帯で隠してでも病院に出勤しようとする姿を見て、
親父に宣言した。
「お父さんね、お母さんは、僕のお母さんだから。お父さんだけのお母さんじゃない。」
よく覚えてるんだ。言った言葉はね。時期は、ちょっとあやふやだけど。

親父は、僕には不思議と暴力的になることは無かった。
僕には3歳下の妹がいるのだけど、
今でも、明るい妹のままで、徳島へ嫁に行き、義母の介護を続けている。
お兄ちゃん、お兄ちゃんてさ、子供の頃は、親じゃなく、精神的には僕が背負ったからね。
小学生に上がってからでもさ、
夏休みになると、親父の実家である田舎に預けられに行くのだけど、
親の同行無しで、
小岩駅からバスに乗って金町駅へ行き、常磐線各駅停車に乗って我孫子駅
その当時、成田線ディーゼル車。早くても20分間隔くらいだったかな。
乗り継ぎがうまくいかないと、かなり待たされる。
妹の手を引いて、乗り換えホームに向かい、木下駅降車。
妹も、良く頑張ってたと思うんだけど、
そこから歩いて30分くらいかけて、親父の実家に行ってた。

だからさ、今テレビで初めてのお使いみたいな番組あるでしょ?
あれさ、僕は見れない。泣いちゃうから。
アニメ映画の、ほたるのなんとかって、あるでしょ?ジブリのやつ。
僕は、一回は見たんだけど、それ以降は一回も見ない。
ドロップとか、もうだめさ。見てると自分がズタズタに崩れちゃう。

でもさ、その、現実的な当時の人は、もっと、感じるでしょう。あれはきついな。

僕はさ、その田舎が大好きで、楽しみだったんだけど、妹はどうかな。
夜さ、しくしく泣くからさ、
僕は自分で考えた御伽噺っていうか、知ってる御伽噺をまぜこぜにして話してた。
あ、これはね、自分の子供が出来た時、夜に語ってやると子供が笑っちゃってかえって眼が冴えちゃうんで、
たまにしかやらなかったけどね^^。

他の人がどのくらい子供の頃のことを覚えているのか良く判らないけど、
僕はね、恐らく良く覚えているほうだと、思うんだ。

こういう言い方をすると、かなり心情的に、かなりひかれちゃうと思うのだけど、
カリスマ性とか、なんというか、ちょっと目立つ人いるでしょ。

あれってさ、ある意味の自分の暴力性の開放だと、僕は思うんだ。
何というか、開放の配分がうまくこなせるなら、うまくやれる。

僕には、暴力性が、あるだろう。
自分の血統的にも、何かある気がしてしまうんだ。
僕の親父血統の爺さんは、何と言うか、その地域の世話役的な人で、
あんな田舎なのに農家ではなくてさ、
内職で傘作ってた^^。在り得るか、そんなもん。そんな稼業で、親父は5人兄弟だし。養えんのか^^。

母親のほうも、ちょっと良くわかんないんだけど、
その親はさ、東北で、農家ではないんだよね。

なんか、母方の爺さんは、
お祭りになると太鼓叩いたり、
なんか祭りの字を書いたり、
僕は母方の従兄弟と話した時にちらっと聞いた話の中で驚愕したんだけど、
家に神棚が吊ってあって、
まぁ、それはある家にはあるんだけど、
変な病気がはやるとさ、
ほら、神棚のなんかカミナリみたいな形をした紙が敷いてあるでしょ?
僕はあんまし詳しくないので、形しかわからないけど。
その紙を、ちょっとちぎって、病気にかかって尋ねてきた人に、飲ませてたんだってさ。

母親は、その家の、めかけの子供で、本家筋ではないらしいが^^。
爺さんの名前は、あさえもん。字は、わかんない。

僕さ、子供の時に巻いてた暖かい襟巻きね、
たぬきだ。
普通に、巻いて外を歩いてた。
見た目はさ、ただの、例えば狐の毛の襟巻きと変わらないからね。

本物の、狸の毛皮というか、手と足と顔が、ついてる。
不思議すぎる、それ。
おおおい、そりゃ、今考えれば、なんというか、剥製か?
ちゃんと、目玉にガラス球みたいなもんも、入ってたよ。自家製の、剥製だったのか???
剥製だとすると、それを巻いた感覚は、僕しか知らないだろう。
何故かというと、生き物の温もりが、そのまま感じられることだ。
飼っている大型動物と一緒に寝たことがある方は、実感すると思う。そんな感じだと思う。

遠野にも、親戚がいるんです。会ったたことはないけど。
苗字を出せば、そっちから手繰れる世界があるとは思うんだけど、
ここでは、出せないね。何故なら、僕は匿名でブログを書いているから。

本名で書くときに、考察してみたい。たぶん、有り得ないだろうけどね^^。

あ、こんなに脱線して、
肝心なことを書くのを忘れてたんだけど、
僕は、どこかで自分の暴力スイッチを切った。
切り離した。

だから、今がある。

どうかな、他にもそういった経験がある人、いるんじゃないかな。

皆が、そうなのかも知れないけど、
皆と意見を交換できる環境ではないので、わからない。

僕は、かなり以前に、自分で、切った。