「つながり」の進化生物学

「つながり」の進化生物学

「つながり」の進化生物学

これは、良い本である。
この手の本は、全くわからない場合も多いが、これは高校生向けの講義を基本としており、
専門分野を非常に良く研究したであろう著者が、
その内容を高校生レベルに落とすのではなく、
自分が高校生であった頃の自分に合わせて講義しようとし、
その頃の自分となって受講者たちと話し合い、
編集者が、それを基本として、なるべくその雰囲気を壊さすにまとめられた本である。

なので、テーマは難しいが、
そのテーマを考えようとする手助けになっている。
別に専門書を否定するわけじゃないけど、
こういった本の存在が、僕を含めた子供的一般人に伝わり易いし、
極論すれば、学校教育よりも、
こういった本を読み、読ませ、議論し、議論させ、というほうが、
教育の本質を突く気がするのだ。

極論すれば、
こういった本をほぼ強制的に読ませ、
感想文をほぼ強制的に書かせるほうが、
学校に通うより良いかもしれない。学校は、みんなで遊んでいるほうが楽しい。
最初は、いじめも一種の遊びだ。
いじめられている自分が、遊びだと思っているうちは。

それは、社会的な演技だから。弱い自分も、演出可能な人は、出来る。
優等生も、演技なのだから。

その、社会的演技の根本は一緒だという、
それを教育できるならば、学校の存在意義は、あるのかも知れない。
無いなら、ほぼ、学校は無意味だ。
現実的に、対面で、
例えば、殴ったり、投げたり、罵り合ったり、取っ組み合うような喧嘩は、
いじめとは、違う。
集団どうしでも同じ理屈で、
喧嘩といじめは、全く違う。
対決と、弱い者いじめは、動機が、根本的に違う。

非常に個人的な動機に従って、
たまたま自分より力の弱い奴、
たまたま教室という中の教室社会内立場の弱い奴、
そいつを、眼前から消し去ってやりたい。

そいつを、排除しようという雰囲気に教室内社会全体が包まれた時に、深刻ないじめが生まれる。

じゃね、なんでそいつが気になったんだろう。
友達になりたいなぁと、思わなかっただろうか。
汚いとか、貧乏だとか、
なんで話しかけなかったのだろうか。

貧乏=汚いに、排除の根本がある。

僕はね、そいつを見ていたね。はっきりと。
何故か、見えるんだよね。
トップも見えるし、ボトムも、見える。

よそのクラスまでは、間に合わなかったけど。

トップも、ボトムも、同じだ。