ばらばら教

どこまで考えても、
僕に見えている世界には、同じものは二個無い。
完全に、徹底的に、同じものは、二個無い。

出来る出来ないでななく、
頭の中の完璧な技術で、寸分の狂いも無く、
同じものを二つ造ったとしよう。

又は、細胞分裂で、
DNAの全く同じ細胞が、二個出来たとしよう。

二つあるってことで、もう同じでは有り得ない。
同じなら、一個ってことになる。
二個あるってことは、とても特異な出来事だ。

不思議なのは、
ばらばらであることが当たり前なのに、
不思議と真逆に当たり前のように、共通の意見を求めてしまう点にある。
僕の好きな「味ぽん」は、いつも同じ「味ぽん」であるはずだと。

ばらばらなのが当たり前なのに、ばらばらであることを許さない。

何のまやかしもなく、真の願いのように許さないのならば、
その願いが生まれる根源は、
世界はもともと一つだったいう遠い記憶に求められる。

何かが、一つをばらばらにしたとなると、
その方向はどこまでもばらばらを追い求め、
どこまでばらばらにしても、その運動が止まる事はないだろう。

何事も揺らぐことなく、
「全て、この世界があります。」ということも、不思議なく、ありえる。
但し、僕が生きているということを実感している以上、
つまり、静止していないように見えている以上、
その世界は、永遠の繰り返しだろう。

ばらばらというのを一つの運動と見るか、
ばらばらに存在しているのだと見るかの違いはあるけど、

とにかく全部がばらばらだ。

こんなこと考えていると、
僕は自分をばらばらにしたくなり、

ばらばら教を立ち上げざるを得なくなる。

たった一人で、自分を永遠にばらばらにし続けるという、
ばらばら教。

お祭りでは、ばらばら音頭を踊る。
音頭も少しずつばらばらになり、
踊りはそもそもばらばらであり、

お祭りとは、一瞬みえた、ただの結び目だったことに気付く。

今、脳内に流れているのは、
ウルトラマンの話の中で流れていた、
「あなたは私を信じなさい、ほれ信じなさ〜い、信じなさ〜い。」
天本さんという怪人のような素敵な俳優が歌っていた不思議な歌だ。

あれ?バラモンっていう怪獣が、いたかな。

バラモン教っていうのも、いいな。
ありゃりゃ、両方実在するな、それ。

ばらばら教で、いいかもな。
誰も入信しやしないし、
入信したって、みんなばらばらにしちゃうのだし。