ひねくれ者

僕は、ひねくれ者なので、
ひねくれ度、ひねくれ方、ひねくれ行為、
ひねくれに過剰に反応する。

大人になって、個人的なひねくれをそのまま社会に認めさせようとする奴は、大嫌い。
但し、ひねくれをなんとか巻きなおして表現しようとしたり、
ひねくれをそのままぶつける事を意識しながら表現しようとしたり、

ひねくれを根本に抱えている大人が好きだ。

子供のひねくれは、ほぼ全面的に認める。どんどん、ひねくれろと言いたい程に。

子供のままに大人になって、ひねくれた行為を撒き散らす奴は、我慢がならないが、
僕は大人なので、黙認する。一応。

自分を抑圧して、自分のひねくれを高める。
本を読みながら、ひねくれを更に捻じ曲げて、
自分のひねくれを拡大し、深め、高め、そこから出た眼を育て、伸ばし、
枝にし、葉を茂らせ、花を咲かせ、
と言う風に、ひねくれ者を展開したい。

暗い眼をしてる奴が、ひねくれ者だという訳じゃない。

僕は、そっちは別方向だと思う。

僕は、なるべくしっかりと動きを見たい。
暗い眼では、それは見えない。

ひねくれた行為も、僕は、なるべく、したくない。