オニの系譜 その8

日本の民話にしばしばおいら達ガッパの話は現れる。
皿、水かき、くちばし、甲羅、緑。
それは、大まかに言って、見た目はホントだ。

しかし、おいら達を直視する人間は、いない。

二目遣いを意識する人間のなかの、更に一部の人間に、
おいら達は捉えられる。

周辺視野の中に現れているものをハッキリと集中して見ることは、人には出来ない。
しかし、存在、動き、色、距離、漠然と感じることは出来る。

人が本を読んでいるとき、
全体の文字は見えているが、
追っている文章はそれだけしか追えない。
文字を追って、リズムが生れなければその文章さえ、追えない。

しかしだ、一部の人は、周辺視野内の出来事、その中の文脈を追うことが出来る。

ポチャンと音がしたときに、
焦点を移動せずに周辺視野で水に飛び込んだおいら達を見る人がいる。

普通の人は、何か音がしたとき、何かが動いたとき、何か匂うとき、何かがぶつかったとき、
そちらに感覚的焦点を合わせる。
合わせるときに使っている感覚器官以外は、一瞬感覚を忘れる。

視野の一番奥にフォーカスしたまま、周辺視野に注意を払ったほうが、
はるかに多くの視的情報を得ることが出来る。
その注意力を意識する人間が、やがて二目遣いとなる。
視野の端に動いたものを捉えていても、
その意味を理解することは、なかなか出来ない。

おいらたちはその隙を突いて動くから、
サッと動こうが、ノンビリ動こうが、
あまり関係ないのだ。

ただ、おいら達ガッパの一族は、人間と濃密に接触している。
なので、民話に現れてしまう。それほど、見た人間は多いだろう。見られることは、あたりまえだから。

おいら達は、人の尻こ玉を抜くと言われている。
それはある意味正しいのだが、
おいらは、言いたいことがある。

==========終しまいは、近い。==========
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